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母馬に寄り添う1頭の仔馬 のちの“ロビンフット”と運命の出会い/動画

  • 2017年01月24日(火) 18時01分


愛馬との関係に行き詰っていた時に…


 埼玉県越生町にある乗馬クラブアイル代表の米谷朋子さんから「ロビンフットという馬が入厩しました」とメッセージが届いたのは、昨年11月末のことだった。2歳時からオープン馬として活躍した青鹿毛の精悍な馬。成績が伸び悩んでからも、どこか気になる存在…それがロビンフットだった。

 中央から地方へと移籍したのは把握していたが、2014年7月の浦和のレースで除外になって以降の競走記録がなく、その後どうなったかとても気になっていた。そこへ交流のある乗馬クラブから思いがけない知らせがもたらされ、早速取材を申し込んだ。

 新しい年が明け、8日にロビンフットを訪ねた。米谷さんの説明を受けながら、馬房の窓から顔をのぞかせるロビンフットにレンズを向ける。正面からカメラを構えると、ものすごい顎っぱりをしていることに気づいた。

第二のストーリー

▲2歳時からオープン馬として活躍したロビンフット、現在は埼玉県の乗馬クラブで暮らしている


 その立派な顎に感心しながらシャッターを切っていると、現在のロビンフットのオーナー、柴田操さんが大きな荷物を抱えて現れた。その荷物はすべて、ロビンフット関係の資料だった。乗馬クラブの事務所で、柴田さんがこれまで撮影してきたロビンフットの写真を見せてもらいながら、1頭の馬と1人の女性のここに至るまでの道のりに耳を傾けた。

 ロビンフットは、2008年3月11日、北海道新冠町にある赤石久夫さんの牧場で生まれた。父はゼンノエルシド、母はサンディフォルス。その父はサンデーサイレンスという血統だ。

 一方、柴田さんはテレビの競馬中継でウイニングランをするミホシンザンの美しさに魅かれ、映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」に影響を受けた。

「シスコという馬に乗っていたケビン・コスナーや、インディアンが裸馬に乗って駆け回っている姿を目にして、いてもたってもいられなくなりました(笑)。映画を観た翌日が会社の創立記念日でちょうど休みだったので、新聞の広告に載っていた乗馬クラブに見学に行って即入会していました」

 以来、柴田さんにとって馬が生活の一部のようになり、所属する乗馬クラブでは自馬を所有するまでになっていた。愛馬の名はフォルス。父はサニーブライアンで、1999年5月19日に新冠町の斉藤安行さんの牧場生まれ、サニーフォルスという名で競走馬登録がされていた。実はこのフォルスが、ロビンフットの半兄にあたる。

 当時柴田さんは、愛馬との関係に行き詰っていた。

「うまく乗れなかったんですよ、フォルスに。どうしたらいいのか悩んでいた時に、フォルスのお母さんはどんな馬なのだろうと思って、フォルスと向き合うきっかけを作りたかったんです。それで母のサンディフォルスに会いに行くことにしました」

 柴田さんは、北海道に飛んだ。愛馬の生まれ故郷の牧場を訪ねると、母は赤石久夫さんの牧場に移動したと教えられた。柴田さんは赤石さんの牧場で、フォルスの母サンディフォルスと念願の対面を果たした。その時の写真には、サンディフォルスと寄り添うように1頭の黒い仔馬が写っている。この仔馬こそが、のちのロビンフットである。

第二のストーリー

▲▼母サンディフォルスに寄り添う当歳時のロビンフット(提供:柴田操さん)


第二のストーリー

 北海道から戻って、気持ちを新たに愛馬と向き合って乗馬ライフを送っていた柴田さんに、突然悲劇が訪れた。フォルスが疝痛で天国へと旅立ってしまったのだ。そのショックは大きく、およそ2年ほど馬にも馬具にも触れない状態が続いていた。その間、牧場で会った黒い仔馬はスクスクと成長して、競走馬になるべく順調にトレーニングが積まれていた。

 愛馬の死から立ち直れずにいた柴田さんに転機が訪れたのは、2010年夏だった。2年前の夏に牧場で出会ったフォルスの弟が、ロビンフットという馬名を与えられ、函館でデビューしたことを知ったのだ。3番人気に推された新馬戦で2着と好走し、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げる。

 その頃、生産牧場を通じて、ロビンフットの桐谷オーナーとも知り合うことができた。オーナーと柴田さんの交流は今現在も続いているというが、この交流こそがロビンフットと柴田さんの絆を決定的なものとし、引退後の余生へと繋がったと言っても過言ではない。

 ロビンフットは函館でラベンダー賞に快勝して、函館から札幌へと移動した。柴田さんは面会の許可をもらって札幌競馬場に赴き、ロビンフットと当歳以来の再会を果たした。柴田さんが広げるアルバムには、札幌競馬場の厩舎で撮影した若駒だった頃のロビンフットの写真が何枚も貼られていた。その時々のロビンフットとのエピソードを語る柴田さんの笑顔がとても幸せそうだったのが印象に残った。

 北海道から美浦に入厩したロビンフットは、10月、出世レースとも言われている、いちょうS(OP)に出走することになった。柴田さんは急きょ横断幕を作り、パドックに張って応援した。その気持ちが通じたのか、今は亡き後藤浩輝騎手の手綱に導かれたロビンフットは、素晴らしい走りを披露して見事に優勝した。京王杯2歳S(GII・6着)を挟んで、12月には2歳チャンピオンを決める朝日杯FS(GI・8着)にも出走して、2歳シーズンを終えた。

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▲北海道から美浦に入厩、東京のオープン・いちょうSを優勝(撮影:下野雄規)


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▲京王杯2歳Sのパドック、ここから重賞・GI戦線を歩むことに(提供:柴田操さん)


 2011年。3歳になったロビンフットは、共同通信杯(GIII・13着)から始動した。だが3月11日、東日本大震災が発生。東北の被害に比べれば関東はまだ影響は少ない方ではあったが、ロビンフットがトレーニングする茨城県稲敷郡美浦村にあるJRA美浦トレーニングセンターは、たびたび余震に襲われ、しばらく水が出ない時期もあるなど、震災の影響が影を落としていた。

 関東圏の競馬は中止となり、関東馬はのきなみ、関西圏に遠征しての競馬を余儀なくされていた。ロビンフットの年明け2戦目は、GIIIのファルコンS。折しも中京競馬場が工事中だったため、阪神競馬場でのレースとなった。

「この時、ものすごく体調が悪かったんです。でもどうしても阪神まで応援に行きたかったので、病院で点滴を打ってもらって競馬場に向かいました」

 病を押して埼玉から阪神へと駆け付けた柴田さんの前で、ロビンフットは4着と健闘して見せた。続くニュージーランドT(GII・5着)も、阪神競馬場で行われたために、柴田さんは再び横断幕を持って阪神へと赴いている。

 こうして柴田さんは、ロビンフットの応援に全国を駆け巡るようになっていた。愛馬フォルスを失った心の傷は、その弟の存在によって、いつの間にか癒されていたのだった。

(次回へつづく)



※ロビンフットは見学可です

乗馬クラブアイル
〒350-0412
埼玉県入間郡越生町西和田739-1
電話 フリーダイヤル 0120-007-550
URL http://www.jouba-airu.com

見学は火曜日以外でお願いします。必ず事前に連絡をしてください。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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