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高崎競馬場、ラスト開催

  • 2005年01月04日(火) 19時32分
 大晦日12月31日、群馬県高崎競馬場のラスト開催日は、降雪に祟られ、第9レース以降が中止されるという何とも後味の悪い終わり方で幕切れとなった。

 第11レースには「高崎大賞典」(重賞)も組まれていたのだが、悪天候には勝てず、ついに降りしきる雪の中、長い歴史に幕を閉じることとなった。最終日に降雪のため、途中でレースを中止せざるを得ないというのは、平成14年1月4日に大雪のため第2レースで打ち切りとなりそのまま廃止された新潟県競馬を彷彿とさせる。

 ライブドア参入の可能性も絶たれ、厩舎関係者にとっては何ともやり切れない重い気分のまま平成17年の元旦を迎えることになったわけだが、一部にはまだあくまで“存続”の望みを捨てていない関係者もいると聞く。年明けに幾人かの高崎関係者と電話で話した時にも、「このまま黙って廃止を受け入れてしまっては行政の人間の思う壷だ。何とか少しでもここで馬に携わる可能性を模索して行きたい」という台詞を聞かされた。

 どんな可能性が残されているのか? 例えば調教師の一人はこう語る。「ここ(高崎)は、佐波郡境町にトレセンがありまして、この施設を使って育成牧場ができないか、と考えています。あるいは他の競馬場の外厩として機能させるような道がないものか、とも考えます。競馬場は完全に市街地の中にあり、年内で廃止になったわけですから、もうどうしようもないのかも知れませんが、この境町は、まだ施設が残り厩舎関係者も住んでいますし、引き続き馬の仕事に携わりたい希望の人間も多いですから」

 果たして民間の育成牧場として再生できるものかどうか、それにはどんな問題や障害をクリアしなければならないのか、私には知識が不足しているため、ここでそれを論じることができない。だが、実際にそれが可能かどうかは別として、あくまで馬にこだわりたい関係者の思いはよく理解できる。やはり馬で生きてきた人間には、馬の仕事しかできない、ということなのだ。

 一方の廃止に伴う「補償問題」は、未だ何の見通しも立っていないという。県から提示されているのは、関係者(調教師、騎手、厩務員)に対し、最大で「過去3年の平均年収の80%」だそうである。しかも、再就職の斡旋と平行してのことなので、例えば早々に次の職場が見つかった時には、それも全額支給とはならない模様で、関係者は一斉に反発し、交渉は頓挫したままだそうである。

 調教師の一人はこう言う。「だいたい賞金と諸手当が大幅に下がった2001年から2003年までの年収だから、もうひどい金額なんです。私の例で言うと、だいたい支給金額は最大で約280万円くらいじゃないですか。納税証明書から年収を割り出して0.8をかけると、そんな程度の金額にしかならないんです。」

 これでも、まだ高い方だという。調教師とはいえ、中には、この計算式で支給金額を割り出すと、100万円程度にしかならない例も出てくるだろうとのこと。いまさら中央と比較しても仕方のない話だが、改めて地方競馬の現場で働く人々の厳しい生活を思い知らされた。

 高崎には、私の生産馬も数頭入厩しており、廃止となった今後の馬たちの行く末も心配だ。そして、同じ北関東の宇都宮も3月には廃止されることが決定しており、競馬法改正の記念すべき年に、北関東からは地方競馬場がすべて姿を消す事態になってしまったわけである。

 元旦早々、いささか重苦しい内容になってしまったことはお詫びするしかないが、他にも、存廃問題に揺れる競馬場はいくつもあり、地方競馬にとっても、生産地にとっても文字通り「激動の一年」になるであろうことが予想される。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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