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【JRA通算500勝】柴山雄一騎手(1)『中央移籍から丸12年 ギリギリだった新人時代』

  • 2017年03月14日(火) 12時01分
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▲JRAの競馬学校は3回不合格、笠松の新人時代の苦い経験…柴山騎手の本音に迫ります


1月28日にJRA通算500勝を達成した柴山雄一騎手。笠松からJRAに移籍して以来、丸12年での達成となりました。しかし、これまでの騎手人生は決して順風満帆ではなかったと言います。JRAの競馬学校は3回不合格、笠松からデビューするも“干された”苦い経験が。地方競馬教養センター時代を共に過ごした赤見さんが、柴山騎手の本音に迫ります。(取材:赤見千尋)


「柴山さんの体格を見て“分厚いッ!”って」


赤見 500勝達成、おめでとうございます!

柴山 ありがとうございます。あんまり意識はしていなかったけど、300勝や400勝のときとはやっぱり違いましたね。これまでのことをしみじみと振り返ったというか。

赤見 中央に移籍してから丸12年ですものね。

柴山 そうですね。改めて、いろんなことがあったなぁって。勝てなかった時期もあったし…。

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▲2017年1月28日・東京2R・3歳未勝利戦・ハッスルバッスル号でJRA通算500勝達成(撮影:下野雄規)


赤見 じゃあ、振り返りついでに、すんごい昔の話からスタートしていいですか?

柴山 ああ、(地方競馬)教養センター時代のこと? 赤見ちゃんとは、長期と短期(柴山騎手は半年で騎手免許取得を目指す短期過程)でコースは違ったけど、時期が被ってるもんね。

赤見 センターで初めて会ったとき、柴山さんの体格を見て、“分厚いッ!”って思ったんですよ。ただでさえ小柄で細い子が多いなかで、柴山さんは体の厚みがみんなの2倍くらいあったから。

柴山 骨太だし、体質的に筋肉が付きやすいんだよね。だから、JRAの競馬学校も3回も落ちたし。

赤見 高校に行きながら受けたんですよね。

柴山 うん。でも今思えば、受からなくてよかったのかもしれない。受かっていたとしても、3年間体重をキープするのは無理だったと思うから。

赤見 騎手候補生は、騎手以上に減量規制がきついですものね。

柴山 そうそう。2度目に受けたときは、確か41.5キロまで落としたんやけど、見るからにゲッソリやった。

赤見 最終的には高校を辞めて、3回目は牧場で働きながら試験を受けたんですよね。でも、やっぱり落ちてしまって。思春期の挫折ですから相当きつかったと思いますが、それでも騎手の道を諦めなかったんですね。

柴山 高校を辞めることで、自分から退路を断ったから。

赤見 潔い!

柴山 いやいや、そうしなければ「もういいや。ほかのことを目指そう」って、地元に帰ってしまいそうだったから。「もう、騎手を目指すしかない!」という状況を作りたかった。でも、3回目に落ちたときは、さすがに「俺、もう無理かな。向いてないのかな」ってヘコんだよ。減量も本当にきつかったからね。そんなときに、ちょうど笠松の飯干秀人調教師を紹介してもらって。だから、今までずーっと周りの人に助けられてきたと思う。いつも誰かが道を作ってくれたというか。

先輩たちからは「もう辞めろ!」の声


赤見 そうだったんですね。それにしても、よく諦めなかったなって思います。センターでの柴山さんを見てるからなおさらに。だって常に、“お風呂に入っている人”っていうイメージしかないですもん(笑)。

柴山 ああ、いつも汗取りをしてたから(笑)。

赤見 そうそう。食堂で会うと、いつも上半身裸でね。

柴山 えっ? そうやった? 女性のいる前で? マジで?

赤見 はい(笑)。笠松でデビューしてからも、体重ではいろいろと苦労されたんですよね。

柴山 うん、本当に体重だけなんやけど。なにしろ、初騎乗のときに体重で引っ掛かって、騎乗変更になったんだから。

赤見 それはある意味、すごいかも。でも、体重をコントロールできるようになるまでには、みんなある程度時間が掛かりますよね。

柴山 そうかもしれないけど、俺の場合、4月にデビューしてから12月までの8か月間で、体重オーバーによる騎乗変更が6回くらいあったから。だから、最初のうちは干されてた。先輩たちにも、「もう辞めろ!」とか何度も言われてね。

赤見 そんな時代もあったんですね。

柴山 うん。でも今思うと、確かにそうやなと思う。今、そういう若い子がいたら、俺も「やる気がないなら早く辞めろ」って思うかもしれない。

赤見 体重が落とし切れなくて乗り替わる…というのは、騎手として相当インパクトがありますからね。

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▲「体重が落とし切れなくて乗り替わる…というのは、騎手として相当インパクトが」


柴山 本来なら、もうダメやろうね。意識が足りないと思われても仕方がない。

赤見 そんな状況から、どうやって体重をコントロールできるようになったんですか?

柴山 飯干先生の奥さんが、毎日野菜中心の料理を作ってくれてね。何か月かそうやって食事面でサポートを受けつつ、確実に乗れる斤量だけ依頼を受けるようにして。そこから徐々にっていう感じかな。

赤見 でも、そのスタイルでも成績は一気に挙がりましたよね。

柴山 確かにそうやね。勝ち星で減量を減らしていけたから。やっぱり恵まれてたよね。

赤見 いやいや、それは柴山さんの技術があってこそですよ。今となっては、最初にそういうつらい経験をしたことも良かったんじゃないですか?

柴山 うん。環境も含め、笠松だったからよかったっていうのはあるよね。干された時期があったにせよ、俺なりの頑張りを認めてくれて、助けてくれる人がいたから。JRAだったら無理だったと思う。そういうことで一度沈んでしまうと、なかなか這い上がれないからね。

赤見 ちなみに、JRAの試験を受けるとき、笠松の関係者から反発はなかったんですか?

柴山 それはなかった。なぜかというと、(安藤)勝己さんがすでにバンバン乗りに行っていたから。だから「お前、笠松を捨てるのか」みたいな、そういう雰囲気はなかったんだよね。それも勝己さんのおかげだから、間接的にしろ、やっぱり俺は人に助けられてここまできたなって思う。

(文中敬称略、次回へつづく)

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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