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ウオッカ、ダンスパートナー 牝馬たちの牡馬クラシック挑戦の歴史

  • 2017年04月13日(木) 18時01分
ファンディーナの皐月賞挑戦――競馬の歴史を遡ると、その時代その時代に、牡馬クラシックに果敢に挑んだ3歳牝馬たちがいた。皐月賞に出走したもの、最高の栄誉と称される日本ダービーに挑んだもの、タフな長距離戦の菊花賞へ進んだもの。「壁」や「常識」にとらわれない華麗でたくましい牝馬たちの姿と、牝馬の牡馬クラシック好走の条件を探る。(文:島田明宏)


皐月賞の牝馬の勝ち馬は過去に2頭


 今年で77回目を迎える皐月賞。ファンディーナは24頭目の牝馬の出走馬となる。

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▲ファンディーナ、皐月賞の歴史に名を刻めるか(写真はフラワーC優勝時、撮影:下野雄規)


 意外に多いな、と思わないだろうか。

 しかし、そのほとんどは、太平洋戦争前と戦時中、終戦直後に出走した馬たちだ。1939年の第1回皐月賞は出走馬8頭中3頭、第2回は7頭中2頭、第3回は8頭中2頭が牝馬だった。2歳戦がなかった戦前と戦時中は、成長の早い牝馬が、3歳時に牡馬と互角にやり合うことができたので、牝馬が果敢に皐月賞やダービー、菊花賞に参戦したのだ。

 皐月賞の牝馬の勝ち馬は、1947年トキツカゼと1948年ヒデヒカリ。ダービーのそれは1937年ヒサトモと1943年クリフジ、そして2007年ウオッカ。菊花賞は1943年クリフジと1947年ブラウニー。ただ一頭ぽつんと21世紀に勝ったウオッカについては後述する。

 牝馬として初めて皐月賞を勝ったトキツカゼは、オークスも制し、ダービーでも頭差の2着という女傑だった。繁殖牝馬としてダービー馬オートキツ、天皇賞・春と有馬記念優勝馬オンワードゼアという2頭の年度代表馬を送り出し、顕彰馬に選出された。トキツカゼから数えて5代目のウメノファイバーは、1999年にオークスを勝っている。

 2頭目の牝馬の皐月賞馬ヒデヒカリは、ダービーこそ12着に大敗したが、オークスでは2着となり、翌年の中山記念・秋を勝った。

 かつてはこれだけ牝馬の挑戦が見られたのに、グレード制が導入された1984年以降に皐月賞に出走した牝馬は、1991年のダンスダンスダンスと2014年のバウンスシャッセの2頭だけ。中山芝2000mはただでさえトリッキーなうえ、この時期は馬場が荒れてよりタフな条件になる。牝馬路線や短距離路線が整備された今、パワーで優る牡馬と中距離での対決を避けるのは当然かもしれない。

 ダンスダンスダンスは、2戦目の新馬戦を勝ち、クイーンカップ3着、500万下のくすのき賞1着、フラワーカップ2着という戦績で皐月賞に臨んだ。管理した柄崎孝調教師は「桜花賞向きではないので、初めからオークスを目標にしていました。オークスまで間隔もあくし、馬主サイドからもここを使ってはという要請がありました」とコメントした。

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