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節目の恩人

  • 2017年04月15日(土) 12時00分


 文筆を生業とするようになって30年ほどになるが、その大きな節目で一度ならず、二度、三度と力になってくれた人がいる。

 門別で生産・育成牧場を営む藤本直弘さんだ。

 初めて藤本さんに会ったのは、今から26年前、1991年の夏だった。

 その前年、武豊騎手から聞いたひとりの男を追いかけた結果のことだった。

「天才というのは、ぼくなんかじゃなく、ああいうやつのことを言うんだと思う」

 武騎手がそう言った男は、競馬学校騎手課程の同期生だった。彼は、実技で騎乗した馬を洗っているとき、その裸馬にひょいと跨り、曳き手綱を鞭のように使って尻を叩き、敷地内をギャロップしてみせたという。

 抜群の馬乗りの才能を持っていた彼は、しかし、トラブルで競馬学校を退学処分になり、その後の消息がわからなくなっていた。

 ――彼はどうやら、桐谷茂オーナーが関係する牧場で働いているらしい。

 という噂を聞きつけた私は、桐谷オーナーに問い合わせ、その牧場を教えてもらった。それが藤本さんが代表をつとめる藤本牧場だった。

 藤本牧場で育成馬に調教をつけていた3人のうちのひとりが、私が探しつづけていた男――Nさんだった。育成馬場で乗っていた馬があまり首を使わずに走ったので、彼は、たてがみをつかみ、首を下げる動きに合わせてグッと押し込むことを繰り返した。そうするうちに馬のフォームが変わってきたときの驚きは、今も忘れられない。

 その取材記事を「週刊朝日」に3週間、短期集中連載した。「武豊のライバルになるはずだった男」というタイトルだ。私が20代のときに書いた記事で、もっとも注目されたのがそれだった。

 取材を繰り返すうちに藤本さんと親しくなり、家に泊めてもらうようにもなった。

 そして同年暮れ、一緒に香港カップを観戦しないかと声をかけてくれた。香港で、藤本さんと親しい山本正司調教師(当時)、その弟子で、招待レースに騎乗した松永幹夫騎手(同)、そしてオーナーブリーダーの前田幸治氏に引き合わせてもらい、食事などをともにした。

 翌年ニューマーケットとアイルランドに一緒に行ったあとは、ときおり連絡を取り合うぐらいになっていたのだが、当サイトがらみでまたたびたび話すようになった。といっても、私が一方的に知恵を借りているのだが、2012年初夏から連載した「絆〜ある人馬の物語〜」で馬の出産を描写するとき、具体的なディテールを教えてもらうなどした。

 そして、「絆」のドラマ化が正式決定した昨年、北海道でロケハンしたとき、藤本さんを制作スタッフに紹介したところ、知人の門別貴紘さんとともに、馬を扱う技術指導を担当するようになった。

 単行本化にあたっても、妊娠中の牝馬が相馬野馬追に出場した場合のリアリティをどう高めたらいいかなど、相談に乗ってもらった。

 知り合ってから四半世紀以上。気がつけば、大切な節目に藤本さんがいた。

 藤本さんは、私より生年では2つ、学年では3つ上の55歳。父が経営していた門別の藤本牧場で生まれ育ち、高校卒業後、シンボリ牧場や北島牧場での勤務を経て、19歳のとき、生家の牧場に育成部門を立ち上げ、その代表となった。

 主な生産馬に、父の時代に走ったトウショウゴッド(1980年弥生賞、1982年ダービー卿CT、1983年目黒記念・春)、トウホーソアラ(1982年毎日杯2着)、自身の代になってからは、タガノブライアン(1999年毎日杯2着)、オネストジョン(2010年道営記念)などがいる。

 今週、見せてもらいたい馬がいたので、藤本さんの牧場(現在の名称はフジモトバイアリースタッド)を訪ねた。自然と、日本の生産界を席巻する社台グループに話題が及び、これから日高の生産者はどうしていくべきか、といった話になった。

「夢は、1頭でもいいから、お父さんもお母さんもハンドメイドの馬で、超良血のディープインパクト産駒に対抗できる馬をつくることです」

 そう話した藤本さんは、自身で種牡馬にしたオネストジョンを、繋養する6頭の繁殖牝馬のほとんどにつけ、オーナーブリーダーとして走らせようとしている。

「クラシックにディープやオルフェーヴルの産駒が並ぶなか、無名の種牡馬の仔がポツンといたら、みんな『何だ?』と思うでしょう。セリに出しても値がつかないような馬。そういう馬を、18頭のなかに1頭でもいいから、入れることにロマンを感じます」

 ヨーロッパで購入した良血牝馬にディープやオルフェをつけて生まれ、億の値がついた馬が、必ずしも走るとは限らない。そんなふうに、わからないところがあるから競馬は面白い。

「だから夢を持つことができる。そういう夢がないと、日高で生産者なんてやってられませんよ。さっきも言ったように、何頭もいらないんです。アロゲートみたいな馬を1頭だけでもつくることができたら、それだけでディープに対抗できるかもしれない。そこまで行かなくても、伊達の高橋農場生産のランニングゲイルが弥生賞を勝って、皐月賞6着、ダービー5着と頑張ったでしょう。お父さんがハンドメイドのランニングフリーで、お母さんは社長が自分で買ってきた馬。ああいう馬をつくりたいですね」

 突然変異こそ進化につながる、という学説もある。藤本さんが配合しつづけているオネストジョンの仔のなかから、ディープ産駒やオルフェ産駒がひしめく舞台に殴り込みをかけるツワモノが現れるか。藤本さんと同じ夢を持って、レースを見つづけたい。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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