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【ダービーSP】“一目惚れのダービー”から19年 ダイワスペリアーは今も多くの人を魅了する

  • 2017年05月23日(火) 18時01分
第二のストーリー

▲スペシャルウィークが制した日本ダービー(98年)の3着馬・ダイワスペリアーの今を追う


当時の鞍上は調教師となり、再び夢舞台へ―


 スペシャルウィークと武豊が優勝した第65回日本ダービーで、15番人気ながら3着と健闘したのがダイワスペリアーだ。パドックでひと際輝いて見えた真っ黒な馬体に魅せられて、急遽ダイワスペリアー絡みの馬券を購入してレースを見守った。道中は優勝したスペシャルウィークより前、7、8番手を進み、4コーナーを回る時には先頭を窺うようにポジションを上げ、直線でもしぶとく粘り、2着のボールドエンペラー、4着のセイウンスカイと馬体を合わせた状態でゴールインした。その瞬間、かなり興奮していたのを今でも鮮明に覚えている。

「状態は良かったですし、掲示板はあるかもしれないとは思いましたけど、正直3着は想像していませんでした」と、当時騎手としてダイワスペリアーの手綱を取っていた菊沢隆徳調教師は振り返る。「あっという間に(武)豊さんとスペシャルウィークが抜き去っていって。あっ、豊さん、ムチ落としているわ(笑)とか。それも見えましたね」と菊沢師は笑顔を浮かべた。

 ダイワスペリアー。1995年5月15日に三石町(現・新ひだか町)の明治牧場で生まれた。父リアルシャダイ、母インバレル、母の父Slew O'Goldという血統だ。オーナーは大和商事、美浦の二ノ宮敬宇の管理馬として、1998年1月10日にデビューした。初戦は5着ながらも3戦目で未勝利を脱出して、4月19日にダート1800mの500万特別、山藤賞に優勝。およそ1か月後のプリンシパルSで2着(2010年以降は1着馬のみ優先出走権)に入り、ダービー出走権を掴み取った。そして迎えたダービー当日、前述した通り、ダイワスペリアーはスペシャルウィーク、ボールドエンペラーに続いて、3着と健闘したのだった。

 秋を迎えたダイワスペリアーは、セントライト記念で2着になり、鞍上が蛯名正義騎手にスイッチされた菊花賞ではセイウンスカイの6着と敗れ、結果的にこれが最後のレースとなった。

 ダービーで一目惚れをしたダイワスペリアーが、その後どうしているのか。心のどこかでいつも引っ掛かっていたが、何げなくネット検索をしていた時に、埼玉県北足立郡伊奈町にある乗馬クラブクレイン伊奈で乗馬となっていることが判明した。元気にしているとわかって、心底ホッとした。このコラムの連載を始めてから、ダービーの時期に合わせていつか取材に訪れよう。そう心の中で温めていた。

 そんな折、昨年秋に乗馬クラブクレイン伊奈の会員さんから、1通のメールがnetkeibaに届いた

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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