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春の3歳クラシックが終了、凱旋門賞に向けて

  • 2017年06月21日(水) 12時00分


◆今年はいささか異なる様相を呈している

 18日にシャンティーで仏国版オークスのG1ディアヌ賞(芝2100m)が行われ、これをもって英国と仏国の春の3歳クラシックが終了した。

 振り返れば1年前、仏ダービーを制したアルマンゾルや仏オークスを制したラクレソニエール、英ダービーを制したハーザンド、英オークスを制したマインディングらは、この段階で既に、それぞれ秋の凱旋門賞へ向けた前売り上位人気に顔を出していたが、今年はいささか異なる様相を呈している。どうやら、今年の3歳世代の12F路線には傑出した存在が見当たらないというのが、現段階における評価なのだ。

 最も身近な例から繙けば、18日に行われたG1ディアヌ賞を制したセンガ(牝3、父ブレイム)は、ここまでマイル路線を歩んできた馬で、今季初戦となったG3ラグロット賞(芝1600m)で重賞初制覇。続くG1仏千ギニー(芝1600m)11着、続くG2サンドリガム賞(芝1600m)3着という成績で臨んだG1ディアヌ賞を制している。

 すなわち、ディアヌ賞では距離を伸ばして成功したわけだが、そうかといってセンガの陣営に、これ以上長い距離を戦わせようという意思はなく、次走はG1ジャックルマロワ賞(芝1600m)が有力と見られている。すなわち、凱旋門賞路線には乗らない公算大なのだ。

 4日にシャンティーで行われた仏国版ダービーのG1ジョッケクルブ賞(芝2100m)は、仏国版二千ギニーのG1プールデッセデプーラン(芝1600m)勝ち馬ブラムト(牡3、父ラジサマン)が勝ち、春の3歳牡馬2冠を達成した。そして同馬の陣営は、更なる距離延長も問題ないと見て、秋は凱旋門賞を目標とすることを言明している。

 しかしブラムトも、センガ同様に仏ダービー以前はマイル路線を歩んでいた馬で、仏二千ギニー以外にも、G3フォンテンブロー賞(芝1600m)を制している。しかも、今年の3歳世代が初年度産駒となる同馬の父ラジサマンも、現役時代はG2ミュゲ賞(芝1600m)をはじめ1600mの重賞を4勝しているマイラーであった。ブラムトの母モーニングライトの兄に、独国の名馬にして名種牡馬のモンスンがいるから、牝系はスタミナの源泉となりそうだが、2400mになって更なる進展がある馬かどうかは、走ってみなければわからないというのが正直なところだ。もっともブックメーカー各社は同馬を、現段階でオッズ9倍前後の2-3番人気に支持している。

 3日にエプソムで行われたG1英ダービー(芝12F6y)が、オッズ41倍(16番人気)の伏兵ウィングスオヴイーグルス(牡3、父プルモワ)による優勝という大波乱となったことは、皆様のご記憶にも新しいところだろう。同馬が、2400mという距離への高い適性を持つことは間違いないが、一方で、果たして本当に強いのかどうか、もう1戦見てみたいというのが一般的な評価である。

 同馬や、英ダービーが1番人気で3着だったクラックスマン(牡3、父フランケル)、更にはG1仏ダービー2着のヴァルドガイスト(牡3、父ガリレオ)らは、7月1日にカラで行われるG1愛ダービー(芝12F)に出走予定で、ここでの結果と内容によって、凱旋門賞を目指す3歳牡馬の代表が焙り出されてくるものと思われる。

 ちなみにG1英ダービー2着のクリフスオヴモハー(牡3、父ガリレオ)、同競走4着のエミネント(牡3、父フランケル)は、7月8日サンダウンで行われる10F路線のG1エクリプスS(芝10F7y)に向かうと見られている。2日にエプソムで行われたG1英オークス(12F6y)を制したのは、エンネイブル(牝3、父ナサニエル)だった。オッズ2倍を切る1番人気だったロードデンドロン(牝3、父ガリレオ)に5馬身という決定的な差をつける快勝で、ブックメーカー各社は同馬を、凱旋門賞へ向けた前売りでオッズ9-11倍の2-5番人気に支持している。

 凱旋門賞では斤量的に恵まれる3歳牝馬だけに、次走に予定されるG1愛オークス(芝12F)の内容次第では、更に評価が高まる可能性がありそうだ。更に言えば、愛ダービーを終えてなお、牡馬戦線が混沌としているようだと、牝馬のエンネイブルが、凱旋門賞における「3歳代表」となる可能性もなきにしもあらずだ。

 なおG1英オークス2着馬ロードデンドロンは、18日に行われたG1ディアヌ賞のレース中には鼻出血を発症して競走を中止。今後の予定は白紙の状態となっている。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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