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世代を超えた“坂路の申し子” キタサンブラックとミホノブルボン

  • 2017年06月22日(木) 18時01分
ミホノブルボン

▲ハードトレーニングはいかに馬を強くするのか、ミホノブルボンを担当していた安永司調教助手が語る


キタサンブラックの出走も相まってか、少頭数となりそうな宝塚記念。昨年の年度代表馬でありながらキタサンブラックは今春、大阪杯と天皇賞・春を制覇し、ますますパワーアップしている。その大きな理由は大阪杯前や今回にも課せられた「坂路3本乗り」というハードトレーニングだろう。

その昔、「坂路の申し子」と呼ばれた馬がいた。無敗のダービー馬・ミホノブルボン。キタサンブラックと同じく短距離血統と思われながら、坂路4本乗りで身に着けたスタミナで菊花賞でも2着だった。ハードトレーニングで有名だった戸山為夫厩舎でミホノブルボンを担当していた安永司調教助手(現在は松元茂樹厩舎所属)の話からミホノブルボン、さらにはキタサンブラックの強さに迫る。

(取材・文・写真:大恵陽子)


普通の厩舎なら2本のところ、戸山厩舎は坂路4本


 宝塚記念への最終追い切りを終えて、キタサンブラックを管理する清水久詞調教師は同馬の強みをこう答えた。

「健康で丈夫。ハードに鍛えていますが、へこたれず、こちらの期待に応えてくれています」

 この春、坂路3本乗りをはじめとしたハードトレーニングにより年度代表馬がさらに強くなっていく姿はファンにも衝撃と興奮を与えた。

 25年前、「坂路の申し子」と呼ばれた栗毛馬がいた。無敗のダービー馬・ミホノブルボン。管理する故・戸山為夫調教師の「鍛えて馬を強くする」という信念の下、坂路を1日に4本乗り込まれていた。当時、タイムが計時されるのは500m。坂路自体の総距離も785mと、計時距離・総距離ともに今より300m短かった。そのため単純に本数だけで比較することはできないが、ミホノブルボンも坂路でしっかり乗り込まれていたことは確かであろう。

 当時、持ち乗り調教助手として担当していた安永司調教助手はこう振り返る。

「トレセンに入ってきて初めて追い切った時、すんごい時計が出たんです。走る馬に共通して言えることですが、乗っていてスピードを感じさせないんですよね。当時私は25歳。トレセンに入って3年目だったんですが、そんな私でも分かるほどすごい馬でした」

 当初から感じた素質の一方で、こんな苦悩もあったという。

「検疫厩舎に迎えに行って初めて会った時、大きくて大人しくてかわいい馬という印象でした。でも、それと同時に『私のような厩務員に出会ってしまって、お前も不幸だな』って申し訳なく思ったんです。というのも、その頃はずっと私自身の流れが良くなくて…。何をやっても馬が潰れていったんです。戸山先生は人間的に立派な方で、スタッフが一生懸命やった結果に対しては決して責めなかったのですが、かなり落ち込みましたね。戸山厩舎はハードな調教で絶対に妥協を許さないところでしたので、淘汰されてしまう馬も多かったです。でも、生き残った馬は強いんですよ」

 戸山厩舎には超一流とは言えない血統の馬も多かったという。しかしその中で強い馬を作り上げるため、他厩舎とは大きく違った調教メニューを組んでいた。

「普通の厩舎では坂路を2本乗るところ、戸山厩舎はいつも4本くらい乗っていました。2回目と4回目に速い時計を出すんです。当時、他の厩舎は今のように調教に時間をかける風潮もほとんどなかったですが、戸山厩舎は1頭の調教に2時間以上かけていたので、いつも最後の最後まで仕事をしていましたね。今だから言えますが、乗っている方もお腹が空いて耐えられないから、記者さんからサンドウィッチをもらって馬の上で食べた覚えがあります(笑)。先生が不在の日でも、自然とみんな坂路4本くらいは乗っていましたね」

 ミホノブルボンも入厩当初から鍛えられ、耐え抜き、無敗で皐月賞を制覇した。

「ハードトレーニングがブルボンを作ったっていうイメージはありますが、基本的に天才型だったと思います。私の知る限り、ブルボンはずっと成長しているイメージしかないんです。それってすごいことですよね。だから、ハードトレーニングをしていなくてもある程度のところまでは行ったと思います。でも、それだと日本ダービーは勝てなかったかもしれません」

 父マグニテュードは短距離馬を多く輩出していた背景から、皐月賞馬ミホノブルボンが2400mの日本ダービーを勝つことは難しいのではないかと囁かれた。しかし坂路で乗り込むことでスタミナを増強し、距離の壁を乗り越え無敗のダービー馬となった。

GIドキュメント

▲安永助手いわく「天才型」というミホノブルボン、才能とハードトレーニングによりダービー馬に輝いた(写真は京都新聞杯優勝時、(C)netkeiba)


 そして夏を超え、無敗の三冠がかかった菊花賞。ここでも3000mという距離がミホノブルボンの前に立ちはだかったが、2番手からレースを進め2着。ライスシャワーの末脚には屈したものの、一旦は交わされた3着馬マチカネタンホイザをゴール前で差し返す踏ん張りを見せた。

 距離の壁を乗り越えたことは証明できたものの、三冠馬の称号をあと一歩で逃し、関係者もファンも大きく落胆した日の夕方。競馬場の厩舎地区で上がり運動をしていた安永助手の前に戸山師が現れた。

「笑顔で『お疲れさん』って手を振りながらやって来られたんです。先生にとっても人生で最初で最後のチャンスだったと思いますから、それは本当に残念だったと思います。もちろん、私もそんな気持ちでした。でも、先生の笑顔で気持ちがラクになりましたね。あの笑顔は一生忘れません」

 大きなプレッシャーを背負っていたスタッフを笑顔で労った。

 その後、ミホノブルボンは故障のため長期休養に入り、懸命に復帰を目指したが、レースに帰ってくることなく引退。その間、戸山師も病気のためこの世を去った。

ミホノブルボンとキタサンブラック、もう一つの共通点


 リスクも背負っていたであろうハードトレーニングのメリットを安永助手は厩舎スタッフとしてどう感じていたのだろうか。

「言葉は悪いかもしれませんが、血統的に全然大したことない馬でもそれ以上の結果を残していました。どの馬も競馬に行って大負けはしなかったんです。たとえ人気がなくてもみんな踏ん張るんですよね。あぁ、うちの厩舎の馬って強いなって思いました。それはハードトレーニングをしていたからでしょう。ちゃんとトレーニングしないと馬も落ち着いてきませんし、いざというときの踏ん張りが効かないんでしょうね。

 未勝利で土俵際まで行った馬を『ダメでもいいからやってみよう』って、先生は最後に攻めていました。それで馬が変わって勝利を挙げられた馬もいましたし、結果として厩舎のボトムアップにつながったと思います。どんどん積みあがった結果がミホノブルボンだったんでしょうね」

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▲「どの馬も競馬に行って大負けはしなかった、みんな踏ん張るんですよね」と語る安永助手


 近年、トレセンでの調教はハードトレーニングとは逆を目指す風潮があるように思う。

「現場の感覚的には、出来上がっている馬をあえて攻め込む必要がない、というのがあるにはあります。だから、キタサンブラックのように今の時代にハードトレーニングをやるっていうのは本当にすごいと思います。それも、あれだけの馬ですから。

 でもね、普通の調教なら2000m(大阪杯)でも3200m(天皇賞・春)でもって両方に対応はできなかったと思いますよ。坂路で見かけますが、3歳の頃に比べてすごく風格がでてきていますよね。清水君(清水師)にもキタサンブラックにも本当にがんばってほしいです」

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▲「風格がでてきていますよね」と安永助手も感心するキタサンブラックの成長ぶり(写真は最終追い切り後)


 21日(水)、宝塚記念への最終追い切りを終えたキタサンブラックの馬房を訪ねると、驚くほど落ち着いた雰囲気でじーっと立っていた。

 その様子を見て、ふと安永助手の言葉を思い出した。

「ミホノブルボンは馬房ではじっとしていて、オンとオフの差がすごくよくできていました」

 人間でもトップアスリートはトレーニング後はよく寝るという。ハードトレーニングで鍛えられ、距離の壁を乗り越えてきた両馬だからこそ、馬房ではしっかりとオフモードに入るのかもしれない。

 キタサンブラックが宝塚記念を勝てば、2億円の褒賞金が出る。それだけの偉業を達成するかもしれない瞬間が、今週末に迫っている。

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