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セレクトセールを終えて

  • 2017年07月15日(土) 12時00分


 大型スクリーンに「58000万円」という数字が映し出されている。

「ラストコール! 正面右手のお客さまにハンマーが降ります。5億9000万円、いかがでしょうか。ありませんか!? 」

 鑑定人の声が響く。カーンとハンマーが打ち鳴らされると、会場全体の張りつめていた空気がゆるみ、拍手が沸き起こった――。

 7月10日と11日、苫小牧市のノーザンホースパークで、日本最大のサラブレッドの競り市「セレクトセール2017」が行われた。

 2日間で462頭が上場され、406頭が売却された。87.9%という落札率は過去最高。落札総額は173億2700万円(税抜き、以下同)と5年連続過去最高を更新。1頭あたりの平均価格4268万円も過去最高だ。最高価格は冒頭で触れた当歳馬「イルーシヴウェーヴの2017」(牡、父ディープインパクト)の5億8000万円で、こちらは史上2位。

 ここにいると金銭感覚が麻痺し、会場の前に展示されている1000万円以上の高級外車が普通のクルマに見えてくるから恐ろしい。

 今年のセレクトセールは第20回という節目であった。

 第1回は1998年。武豊騎手のスペシャルウィークが日本ダービーを勝ち、シーキングザパールが日本馬初の海外GI制覇を達成した年だ。まだ日本では庭先取引が主流で、セレクトセールも「社台のセリ」などと一部の関係者に呼ばれていた。ところが、フタをあけてみれば落札総額48億5100万円という大盛況だった。当時としては衝撃的な額であった。

「最初はサンデーサイレンスの産駒が買える、ということで話題になっていましたね」と日本競走馬協会会長代行の吉田照哉・社台ファーム代表は振り返る。

 その年は、183頭の当歳馬が上場されて131頭が落札された。1歳馬は47頭が上場されて18頭が落札と、今では考えられないほど売却率が低かった。世界的には当時から1歳馬のセールが主流だったのだが、日本では当歳時に売買されるのが当たり前だったのだ。

 セレクトセールも、翌1999年の第2回から2005年までは当歳馬のセールだけが行われた。

 第9回の2006年に1歳馬のセールが復活したが、当歳馬が304頭上場されたのに対し、1歳馬は165頭にとどまった。

 その流れがガラッと変わったのは第13回の2010年だった。当歳馬が208頭上場されたのに対し、1歳馬が214頭と、初めて1歳の上場馬のほうが多くなったのだ。以降、今年までずっと1歳馬の上場頭数が当歳馬のそれを上回っている。

 1歳馬で売買すると、馬主にとっては購入してからデビューまでの期間が短いぶん、故障で不出走になるなどのリスクが軽減される。それに対し、当歳馬だと、リスクが大きくなるかわりに、いい素材を早い者勝ちで見つけ、長く愛馬として所有欲を満たすことができる。

 売り手の生産者の立場は馬主と逆で、かつての「庭先で当歳馬を売る」という形のほうが、維持費の負担も、背負うリスクも少なくて済んだ。しかし、セールに上場されると、多くの厳しい目によって、適正な価格判断がなされる。なので、いい素材を持っている生産者にとっては、庭先取引よりメリットが大きくなるはずだ。

 さらに、海外から、セレクトセールでしか買えない血を求めて来日する買い手が増えていることを考慮し、こうして「世界標準」に合わせてきたのだろう。

 来週のセレクションセールを含め、サラブレッドがセールで売買されることが当たり前になったからこその「新語」もある。

 ノーザンファームの関係者が、競り合いでどんどん値が上がっていく生産馬を見て、「これは本音を言うと、下で売りたかったでしょうね」と呟いた。セールに「上場する」と表現するので、庭先取引は「下で売買」というわけだ。いやあ、面白い。念のため、「下で売る」「下で買う」をネット検索してみると、出てくるのは「新幹線のホームの下でお土産が買える」など、関係のないものばかりだ。限られた関係者だけが使う業界用語であることは間違いない。

 さて、毎年、セレクトセールには馬主、調教師、生産者のほか、たくさんのジョッキーも足を運んでいる。そのなかに松田大作騎手の姿もあった。初日、2日目とも見に来ていた彼が、2日目の帰り際、歩み寄ってきた。

「記事読みました。ありがとうございます。明らかに変わった姿を見せなければならないので、むっちゃ頑張ります」

「明らかに」という言葉にこめた力の強さが、彼の決意を物語っていた。

 8月の札幌開催では、怪我で丸一年休んでいた三浦皇成騎手も復帰するという。

 セレクトセール前後の札幌は、私が住んでいたころとは同じ土地と思えないほど暑い。

 ひと月後の札幌競馬場も、熱くなりそうだ。

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作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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