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人見知りな快速娘エイシンバーリン(1)  繁殖生活で見せた喜怒哀楽

  • 2017年07月25日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲短距離戦線で活躍したエイシンバーリンの第二のストーリー(写真提供:認定NPO法人引退馬協会)


母になって神経質な一面も


 2017年4月19日、芦毛の快速牝馬としてファンに親しまれたエイシンバーリン(牝)が、病のため天に召された。25歳だった。現役時代に見せた豊かなスピードと、ひたむきに逃げる姿が今でも脳裏に焼き付いている。
 
 エイシンバーリンは、父Cozzene、母がBlade of Luck、母父Bladeという血統で、1992年3月11日にアメリカで生を受けた。エイシンの冠名でお馴染みの故・平井豊光氏によってセリで購買されて来日。栗東の坂口正則厩舎の管理馬として、1994年10月16日、阪神競馬場の芝1400mの新馬戦でデビュー。現調教師の南井克巳騎手を背に、見事に逃げ切って初陣を飾った。

 その後は京成杯3歳S(GII)2着、阪神3歳牝馬S(GI)3着、フェアリーS(GIII)2着と重賞戦線で好走を続け、年明けのクイーンC(GIII)では、前走で敗れたプライムステージを下してリベンジを果たしている。続くアーリントンC(GIII)では牡馬相手に再び逃げを打ち、ダイタクテイオー以下を封じた。

 骨膜炎のために1年7か月もの休養を余儀なくされ、1996年9月のオータムスプリントS(OP)で復帰するも苦戦が続いたが、11月のキャピタルS(OP)で逃げ切り、年が明けた1997年1月の京都牝馬特別(GIII)で重賞3勝目を挙げて、快速復活を印象づけた。

 4月のシルクロードS(GIII)では、自慢のスピードをいかんなく発揮して、2着のビコーペガサスに4馬身の差をつけて快勝。1200mの勝ちタイム1分6秒9という、当時の日本レコードを樹立。続く高松宮杯(GI)では、2番手からの競馬ながらシンコウキングの2着になり、G1でも十分やれる力を示したのだった。

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▲現役時代のエイシンバーリン(95年アーリントンC) (c)netkeiba


 その後はCBC賞(GII・2着)、高松宮記念(GI・3着)、函館SS(GIII・2着)、スワンS(GII・2着)で好走はしているが、残念ながら勝ち星を挙げられないまま、1998年のスプリンターズS(GI)10着を最後に競走生活にピリオドを打ち、北海道浦河町の栄進牧場で繁殖生活に入った。

 だが栄進牧場では残念ながらバーリンを超えるような産駒は輩出できず、2005年に栄進牧場からの預託の形で同場を離れたバーリンは、同じ浦河町の丸村村下ファームに移動して繁殖生活を続けた。2009年にエーシンウルベリンを出産ののち、バーリンは丸村村下ファームの所有となった。

「私が嫁いだ翌年にバーリンが来たんですよね」と話すのは、丸村村下ファームの村下理恵子さんだ。

「バーリンがウチに来る前に血統書のコピーを頂いたんですけど、血統書に馬の特徴が記載されていますよね? そこにグリグリが2つ。つまり“珠目2”となっていたんですよ」

 珠目というのは額にあるつむじのことで、それが2つあると気性が激しいと言われている。

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▲エイシンバーリンの額には、気性が激しいことを表す2つのつむじが


「正直、いやぁ珠目が2つかあと思いました。それで栄進さんにバーリンを迎えに行った時に、ちょうどバーリンがお手入れされていたんですけど、耳を絞って脚はブンブン振り回すし、終いには尻っぱねしているしで…。それを見ていやぁこれはすごい馬が来ると思ってはいたんですよね(笑)」

 だが丸村村下ファームにやって来てからのバーリンは、栄進牧場で垣間見た姿とは全く違っていた。

「ウチに来てからは、まだ慣れていなくて様子見みたいな形だったと思うんですけど、身を潜めるようにものすごく静かでした。手入れもイヤだったとは思うんですけど、こらえて耐えてくれていました。飼い葉の時間も、他の馬がワンワン騒いでいても、バーリンだけはジーッと待機していたので、いじらしくて、自分をもっと前に出して良いんだよという状況でした」

 翌年の春、エイシンワシントンの子を無事に出産したが、当初は子育てにもやや問題があった。

「一切、他の馬と関わりを持ちたくないという感じで、普通当歳同士って放牧地で遊んだりするんですけど、必ずその間に入っていって、絶対に他の子と遊ばせないようにしていました。ものすごい過保護というか、牧場に慣れていないのと、人間に慣れていないのと、初めての馬たちとということで、多分とても神経質になっていての子育てだったと思うんです。

 案の定、その当歳が離乳したばかりの頃は他の子と一緒に遊べなかったですから。時間がたったら、他の子とクチャクチャになって遊んでましたけどね。

 バーリンがウチに馴染んだなと思えるようになったのは、2、3年たってからですね。今思うと、当時は猫を被っていたのかなと思います(笑)」

 その変化は様々な場面で現れた。

「普通、馬は馬房から廊下に顔を出して、飼い葉の時などブーブー騒いだりしますけど、最初の年のバーリンは絶対に顔を出さないみたいな感じで、声も聞いたことがありませんでした。それが段々廊下に顔を出すようになって、3年くらいしたら飼い葉の時間帯に1番最初に鳴き出すのはバーリン(笑)。変わりましたね、一気に。

 そのくらいになったら、ある意味子育ても放任主義になって、もう少し面倒みてくださいと言いたくなるほどでした(笑)」

(動画提供:認定NPO法人引退馬協会)

 バーリンは種付けするとすぐに受胎するタイプで、3月や4月の頭など、他の馬たちより早い時期の出産が多かった。

「その分、バーリンの子は遅めに生まれた子たちに比べてしっかりしていて社交的になっちゃって、他の馬をいじめにいったりしていたのですけど、それを後ろから黙って『うんうんうん』みたいな感じで、微笑みながらバーリンは見ていました」

 少し時間はかかったが、バーリン本来の姿で過ごせるようになっていた。

「ただ他の馬たちとは距離を置いていました。他の馬が嫌いというのでしょうかね。馬同士でよくグルーミング(仲の良い馬同士がお互いの首筋から背中、腰あたりを歯を使って毛づくろいすること)をしますけど、繁殖生活の間はバーリンは自分の子供としかできなかったんですよね。ウチに芦毛が嫌いな馬がいて、その馬におしっこをお洩らししちゃうまで追いかけられたことがあって、それから余計に馬が嫌になったみたいなんですけどね」

 エイシンバーリンといえば、冒頭にも記した通り、ひたむきに一生懸命真面目に走っていた印象が強いが、芦毛嫌いの馬に追いかけられた時にもその片鱗を示していたという。

「あの時は子連れで放牧地に放したのですけど、バーリンは放牧地の角から角まで四角く逃げるんですよ。大きく回って、真面目に逃げるんです。でも追う方はずるくてショートカットをしながら内側、内側を通って、バーリンのお尻をかじりに行くんですよね。近道して逃げた方が良いと思うよって、バーリンにはアドバイスはしたんですけど(笑)。

 真面目は真面目だったのでしょうね。その件があってから、芦毛嫌いの馬とは一緒に放さないようにして、つかず離れずの関係の馬と放すようにしました」

 他の馬に追われるという苦い経験もしたが、それ以外では環境にもすっかり馴染み、バーリンらしい子育てをしながら繁殖生活を送る日々が続いていた。だが芦毛馬の宿命とも言われるメラノーマ(悪性黒色腫)に罹患していたバーリンに、繁殖引退の時期が近づいてきていた。

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▲エイシンバーリンに繁殖引退の時期が近づく


(つづく)


※エイシンバーリンのお墓参り
ファーム内にある馬頭観音にお参り可能です。(馬の見学は不可)
訪問可能時間帯は10:00〜15:00頃
希望日の1〜2日前にファームに確認のこと。なお連絡先は、競走馬ふるさと案内所にお問い合わせください。
http://uma-furusato.com/

日高案内所
電話:0146-43-2121

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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