スマートフォン版へ

人馬一体の復興

  • 2017年08月05日(土) 12時00分


 千年以上の誇るべき伝統が、郷土を愛する侍たちによってつながれた――。

 7月29日から31日までの3日間、世界最大級の馬の祭「相馬野馬追」が、福島県の太平洋側に位置する相馬市と南相馬市を舞台に行われた。五郷騎馬会の約440騎による壮大な時代絵巻を、今年も取材してきた。

 東日本大震災が発生した2011年から7回目の野馬追取材となった今年、何より楽しみにしていたのは、震災後初めて、小高郷の侍たちが、古里である南相馬市小高区内を騎馬で行列することだった。昨年まで、小高郷と標葉郷の侍たちは、初日の宵祭での出陣式も、雲雀ヶ原祭場地への進軍も、騎馬ではなく、徒歩で行っていたのだ。

「今年は宵祭から忙しいよ」

 毎年行動をともにさせてもらっている、小高郷の騎馬武者・蒔田保夫さんが、笑顔でそう言った。浮き立つ気持ちを抑えようとしてはいたが、それでも、生まれ育った街を、7年ぶりに馬上から眺められるのを楽しみにしている様が伝わってきた。

 しかし、心配だったのは空模様だ。週間天気予報では、ずっと傘マークがついていた。

「大丈夫。雨が降っていても、御発輦(ごはつれん)の花火が上がれば、ぴたっとやむから。それが野馬追日和というやつです」

 宵祭が行われた7月29日、土曜日。蒔田さんの言葉どおり、前夜からの雨が、早朝にはほぼ上がっていた。

 午前7時前、蒔田さんは、小高郷の侍大将・今村忠一さん宅を訪ねた。そして、玄関先で蹲踞(そんきょ)し、これからともに出陣するむね口上を述べた。その後、今村さんと盃をかわし、馬装を始めた。

 蒔田さんが乗るのは、2年前にも乗ったプレシャスベイブ(牝11歳、父グランデラ)。今村さんは、去年蒔田さんが乗ったシベリアンハリアー(せん9歳、父アポインテッドデイ)に騎乗する。

右が蒔田さんとプレシャスベイブ。左がシベリアンハリアー。


 どちらも元競走馬で、今は栃木の乗馬クラブで繋養されている。野馬追のときだけレンタルしているのだが、2頭とも、野馬追用の馬具をつけたり、甲冑を着た侍を乗せた経験があるので、旗指物や法螺貝に驚くこともなく、落ちついていた。

 蒔田さんのプレシャスベイブは420〜440キロ台、今村さんのシベリアンハリアーは500キロほどの馬体重で競馬をしていた。去年は、プレシャスと間違えてハリアーが連れられてきたのだが、こうして並ぶと、体高も幅もずいぶん違う。

 2頭は、相馬小高神社で9時30分から執り行われる出陣式に向け、出発した。

先頭(軽トラの横)が今村さんとシベリアンハリアー。その後ろが蒔田さんとプレシャスベイブ。公道を馬が行く眺めは野馬追ならでは。


 去年まで、小高郷の侍たちは、この時間、各自がクルマで相馬小高神社に向かっていた。出陣式が終わると、昼過ぎから徒歩で雲雀ヶ原祭場地に進軍するための準備をするだけだったのだが、今年は早朝から大忙しだ。というか、これが震災前は普通だったのだ。

 かつて相馬氏の居城だった相馬小高神社で行われた出陣式は、騎馬での進軍を控えていたせいか、これまで以上に張りつめたものが感じられた。

 午前10時30分。小高郷の65騎と、標葉郷の47騎の侍たちが、7年ぶりとなる宵乗り行列で、小高の街に繰り出した。相馬小高神社から妙見橋をわたって小高のメインストリートに出て、JR小高駅前を通り、小高区上町まで約2キロを進軍した。

 ときおり小雨がぱらつくなか、沿道にはここでの行列を待ちわびていた多くの人々が立ち、拍手と歓声を贈っていた。

7年ぶりに古里の南相馬市小高区で行われた宵乗り行列。前から2頭目が蒔田さん。


 宵乗り行列が終わると馬たちを馬運車に積み込み、南相馬市の中心部である原町区の厩舎へ移動。そして、午後1時過ぎには雲雀ヶ原祭場地に到着するよう、再度馬に乗って街中を進軍した。勘定奉行としてテントを設営したり、氷の入った飲み水を用意するなどの仕事もこなしていた蒔田さんは、「宵乗りが終わると、野馬追の半分が終わったような感じがするなあ」と笑顔を見せた。

 午後の早い時間帯は、傘をさそうかどうか迷う程度の雨だったが、夕刻、原町区の旭公園で軍者会が行われるころ、急に雨足が強くなった。馬が出ているからと我慢していた空が、こらえ切れず泣き出した感じで、これも「野馬追日和」なのだな、と思わされた。

 本祭の7月30日、日曜日。雲雀ヶ原祭場地までの甲冑行列、祭場地での甲冑競馬、神旗争奪戦が終わると、小高郷の侍たちは、午後4時から、「帰り馬」と呼ばれる行列を、前日と同じ小高区内で行った。ただし、順路は前日とは異なり、メインストリートの西の端からスタートして小高駅前を通り、小高神社の近くまで戻ってくる、というコースである。

 前日の宵乗り行列以上に多くの人々が沿道に出ており、騎馬武者たちのプロフィールや、甲冑競馬で好結果を出したり、神旗争奪戦で旗を獲るなどの「武勲」を紹介するアナウンスに耳を傾け、大きな拍手で出迎えた。

沿道の声援に手を挙げて応える、小高郷侍大将の今村忠一さん。


 人も馬も喜んでいることが伝わってくる、感動的な光景であった。

 7年ぶりの帰り馬を終えた今村さんは、こう語った。

「やはり、感慨深いものがありました。沿道には泣いている人や、手を合わせて拝んでいる人もいました。これがあるから、つらいことにも耐えて頑張ることができた伝統の祭がこの地で復活し、昔を思い出すなどして、感極まったのでしょう。実は私もウルウルしそうになったのですが、侍大将が泣くわけにはいかないので、我慢しました」

 小高の騎馬武者行列が復活したからといって、即、この地に戻ってくる住民が増えるわけではない。それでも、「あるべきものが帰ってきた」という「型」から入る復興というのも、効力を持つのではないかと感じた。昨年、沿道に松明を灯して騎馬武者たちを迎える「火の祭」が復活したときも、多くの人々が、自分のなかの何かをとり戻したように感じたはずだ。初めて見た私でさえも胸に迫るものを感じたのだから、物心ついたときから当たり前の光景として受け入れていた現地の人々にとってはなおさらだろう。

 この日、雲雀ヶ原祭場地には約3万8000人が詰めかけ、翌31日、小高神社で行われた野馬懸には、昨年より約100人多い約1900人の観客が訪れた。賑わいは、戻りつつある。

 まだまだ復興への道のりは遠いが、人と馬とが一体となって復興を目指す姿は、実にあたたかく、そして勇ましい。

 次週の本稿では、ここで出会った元競走馬たちのフォトリポートをお届けしたい。

このコラムの通知を受け取りますか?

お気に入り

このコラムの通知を受け取りますか?

お気に入り

すでにお気に入りに登録しています。

登録済

作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング