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気高さと美しさを合わせ持っていたウラカワミユキ(1) 群を抜いていた存在感

  • 2017年08月15日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲記録が残る中ではサラブレッド牝馬の国内最長寿記録と推定されているウラカワミユキ(写真は2013年6月、(写真提供:(有)渡辺牧場)


「クレオパトラか楊貴妃か、はたまたかぐや姫か…」



 6月2日未明、1頭の馬が天に召された。その馬の名はウラカワミユキ(牝)。6月2日は、奇しくもウラカワミユキ満36歳の誕生日であった。なお36歳という年齢は、記録が残る中ではサラブレッド牝馬の国内最長寿記録と推定されている。また1991年の京都新聞杯(GII)や1994年の高松宮杯(GII)など重賞4勝を挙げ、有馬記念で3年連続(1991年〜1993年)3着だったことから、その歯がゆさゆえにたくさんのファンに愛されたナイスネイチャ(セン29)の母としても知られている。

 ウラカワミユキは1981年6月2日に、北海道浦河町の室田敏子さんの牧場で生まれた。父はハビトニー、母ケンマルミドリ、その父ケンマルチカラという血統だ。ハビトニーという種牡馬自体、新しい世代の競馬ファンには馴染みがないだろう。ましてや母の父ケンマルチカラについては、ミユキがデビューする前から競馬にのめり込んでいた私でも、知識は皆無に等しい。改めて調べてみると、ケンマルチカラはシンザンと同じヒンドスタンを父に持ち、1960年の第8回NHK杯の優勝馬で、皐月賞、日本ダービーと二冠を達成したコダマや、オークス、有馬記念を制した名牝スターロッチと同世代だ。

 このようにウラカワミユキの父方、母方を含め血統表に名を連ねる馬たちを遡ってつぶさに眺めてみたが、おびただしい数の馬名の中で彼女のように余生を過ごした馬はほぼいないと考えられる。血統表に登場する馬名を眺めながら、記載された毛色からその馬の馬体を想像したり、血統からどんな気性だったのかを推測してみたり、その馬の一生がどんなものだったかを思い巡らせていると、時間がたつのを忘れてつい空想にふけってしまうのだが、古い世代の馬たちはもはや肉体を失っており、文字でしか存在は残っていないということに改めて気づく。だがかつてはその体には温かい血が流れ、生命の息吹があったという事実が、血統表を前にすると胸に迫ってくる。と同時に、累々たる馬たちを自分たちの都合で葬り去ってきた人間の業の深さ、罪深さを感じずにはいられなくなるのだった。

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▲34歳とは思えない張りのある馬体をしているウラカワミユキ(写真提供:(有)渡辺牧場)


 さて成長したウラカワミユキは、栗東の松永善晴厩舎の管理馬となり、1983年11月26日に中京競馬場でデビューした。初戦、2戦目と芝で走り、結果は12着、5着。年が明けた1月29日にはダート替わりの4歳未勝利(旧馬齢表記)戦で初勝利を挙げ、2月19日のもくれん賞、芝に替わった3月11日のチューリップ賞と3連勝を飾った。未勝利戦やチューリップ賞では、目が覚めるような差し脚を披露しているように、競走馬としての素質はかなり秘めていた。

 チューリップ賞に優勝して勢いに乗るウラカワミユキは、19着とふるわなかったが桜花賞にも参戦している。ちなみにこの年の勝ち馬はテンポイント一族のダイアナソロンだった。

 ミユキは桜花賞後、長い休養に入る。翌年2月にダート戦で1度復帰しているが、のち再び休養するなど馬体に不安を抱えていたようだ。1985年12月1日に阪神競馬場の4歳以上400万下(当時)で復帰して9着、22日に同じく阪神競馬場で7着になったのを最後に、ウラカワミユキは通算9戦3勝という成績を残して競走馬登録を抹消。生まれ故郷と同じ浦河町にある渡辺牧場と縁が繋がり、繁殖として繋養されることになった。

 それから30年以上、渡辺牧場にはウラカワミユキの姿が常にあった。

 渡辺牧場は北海道浦河町絵笛にある。渡辺牧場の渡辺はるみさんが初めて牧場を訪れたのは、1988(昭和63)年の夏だった。当時獣医になるべく大学に通っていたはるみさんは、大学2年の夏休みのアルバイトに北海道の軽種馬の生産牧場を選んだ。何か所か打診をしたが夏休み期間中の1か月間という短期が嫌われ、半ば諦めの境地で浦河町役場に問い合わせた。そこで紹介されたのが、渡辺牧場だった。そして完全に馬の魅力のとりこになった。

 はるみさんがアルバイトを始めた当時、1番広い放牧地に5組の母子が放牧されていたのだが、その群れのボスとして君臨していたのが、ウラカワミユキだった。はるみさんは、自身が著した「馬の瞳を見つめて」(桜桃書房)の中で「ボスにふさわしく、賢さと気高さと気品、それに美しさを合わせ持っている」とミユキを評している。初めて出会った時から、ミユキの存在感は群を抜いていたようだ。大きくて黒くて、まるで宝石のように光る瞳も、はるみさんの心をとらえた。「クレオパトラか楊貴妃か、はたまたかぐや姫か…」はるみさんは、惜しみなくミユキを称えている。

 はるみさんがミユキと出会った夏、その傍らにいた仔馬が、のちに人気者となるナイスネイチャだった。今年29歳になったネイチャも、渡辺牧場で余生を満喫している。3着が多かったナイスネイチャは、ワイド馬券発売時にJRAのポスターにも登場した。どこか憎めない永遠のアイドルのようなナイスネイチャも、29歳とは…。時の流れの速さにため息が出た。

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▲ナイスネイチャ(右)と並んで顔を覗かせているウラカワミユキ(左)(写真提供:(有)渡辺牧場)


 ミユキはまた、利発な馬でもあった。引き手を付ける時も黙って受け入れ、曳いて歩く時には、絶対に暴れることはないので安心できた。馬房内でボロを拾っていても、大人しくしている。嫌いなのは手入れと獣医師による治療で、この時ばかりは、捕まえに馬房に入るとお尻を向けてきて蹴ろうとしたという。人間の行動を読み、その時々で自己主張をする。ミユキには、気の強さと気位の高さがあった。だが、手入れや治療を拒もうとしていたのは、若かりし頃の話だ。晩年のミユキは、かつてうるさい面があったことをはるみさんが忘れかけるほど、手入れも治療も全く抵抗せずさせてくれるようになっていた。馬と人は、ゆっくり時間をかけて関係を熟成させていくのだ。

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▲たてがみをなびかせて走るウラカワミユキ(写真提供:(有)渡辺牧場)



 私が渡辺牧場を訪ねてウラカワミユキに会ったのは、およそ3年前、2014年の9月初旬だった。ミユキは33歳だったが、放牧地で目にしたその馬体はパーンと張りがあり、30歳を超えたいわゆる高齢馬にはとても見えず、それが強烈な印象として残っている。ミユキはその年の6月に、親友とも呼べる相棒のコーセイ(牝)との別れがあった。かつてコーセイと現役時代の担当厩務員だった永井智樹さんとの絆を描いた記事の取材で、2013年夏に初めてはるみさんと電話で話をした。はるみさんは、胸に沁みるような優しい声で、コーセイの今を教えてくれた。そしてウラカワミユキとコーセイとの心温まる関係もその時に知った。

「(コーセイは)女らしくて、おっとりした馬です。ナイスネイチャの母・ウラカワミユキと一緒に放牧をしているのですが、ミユキはずっと群れのボスとして君臨してきました。だからミユキより強い馬を一緒に放牧することはできないんですよね。でもコーセイは、そんなミユキを立ててくれるんです」

 当時の記事には、はるみさんの言葉としてこう記してあった。コーセイはこの時29歳で、ミユキは32歳。ミユキの誇り高さをコーセイはよく理解し、敬意を表して接していたのだろう。一方ミユキは、物静かでいて芯が通ったしっかりもののコーセイを頼りにしていたようで、コーセイが治療で少しでも放牧地を離れると、ミユキは大騒ぎをしたという。それだけにはるみさんは「ミユキはコーセイのいない寂しさから、死んでしまうのではないかと思っていました」と、コーセイを失ったミユキを心配していた。だがはるみさんの心配をよそに、ミユキは穏やかな日々を送っていた。2014年の取材時、青草を食むミユキの横顔がまた穏やかだったので、コーセイの死を彼女なりに受容しているのだと感じた。そして何より、ミユキの馬体や醸し出す雰囲気があまりにも若々しく、この地でいついつまでもミユキは生きていくのだ…そう錯覚を覚えたほどだった。
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▲コーセイ亡き後の相棒春風ヒューマ(トウショウヒューマ)とウラカワミユキ(写真提供:(有)渡辺牧場)


(つづく)


※ナイスネイチャは見学可です。
有限会社渡辺牧場
浦河郡浦河町絵笛497-5
・年間見学可能(団体の見学は不可)
・見学時間 9:30〜11:30、13:30〜16:00
・直接訪問可能
 詳細は最寄りのふるさと案内所まで
 http://uma-furusato.com/

渡辺牧場HP
 http://www13.plala.or.jp/intaiba-yotaku/
1993年のクリスタルC優勝のセントミサイル(セン27)1993年のクイーンC含め重賞3勝のマザートウショウ(牝27)も見学できます。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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