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引っ越しとリードホース

  • 2017年10月05日(木) 12時01分


 当コラム「熱視点」は、本日、土曜日更新から木曜日更新の枠へと引っ越して参りました。ということで、先週の土曜日から中4日での登板です。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

 と、ご挨拶させていただいたところで、本稿の口調をいつもどおり「〜だ、〜である」という常体に戻すか、それともこのまま話し言葉の敬体で行くべきか、迷っております。「Number」「優駿」などの雑誌で拙文を読んでくださっている方々は、この口調に違和感を覚えていることでしょう。言葉が丁寧になったぶん、腹の底で悪だくみをしているかのようで気持ち悪い、と。

 しかしながら、書くという作業において、つねに実験的試みをせねばならないのは物書きの宿命でもあります。あまりに「このコラムに注目する」のクリック数(今はタップ数と言うべきなのでしょうか)が少なければ、すぐ元に戻しますので、ご安心を。

 さて、引っ越し、であります。それについて話を進めるにあたり、まずは私の現在の状況について。

 実は今、先述した「Number」の取材で2軒のサラブレッド生産牧場を訪ね、そのまま札幌の実家に滞在しております。ですので、「引っ越し」と聞くと、つい牧場の馬たちの移動を思い浮かべてしまいます。

 今はまさに移動の季節です。離乳した当歳馬は、同世代の仲間たちと同じ放牧地での暮らしを始めます。1歳馬は、鞍を背中につけるなどの馴致と、人を乗せての調教を始めるため、仲間と一緒にいた放牧地を出て、育成厩舎に移動します。

 これら、離乳した当歳馬と、馴致前の1歳馬を「イヤリング」と言います。その馬たちが入る施設もそう呼ばれます。昔は「中期育成」などと呼ばれていました。イヤリングの元々の意味は「1歳馬」なのですが、当歳馬も含めてこう呼ぶのが普通になっています。

 恥ずかしながら、私は、当歳馬と1歳馬を同じ放牧地に放しても大丈夫ではないかと思っていたのですが、体の大きさが異なる世代を一緒にすると、大きいほうが小さいほうを襲うなど、怪我や事故の連続になるので、それは考えられないというのです。となると、イヤリングの施設を整えるには、当歳の牡と牝、1歳の牡と牝用の4つの放牧地が少なくとも必要、ということになるわけです。

 このイヤリング、昔は、最も人間が手をかける必要のない時期のように考えられていましたが、実は馬の成長においてとても大切な時期なのです。育成厩舎に行ってしまうと、ずっと厩舎にいるかコースに出る日々が始まり、食事はすべて人間が配合した飼料をとることになります。ということは、イヤリングは、馬が自由に放牧地の草を食べることができる最後の時期なのです。すべてが人間の管理下にあるわけではない状況での栄養状態と運動機能の状態などを把握するには、非常に細やかなチェックが必要です。

 また、人間に置き換えると幼稚園から小学校低学年ぐらいですから、メンタル面でも難しい時期です。集団のなかで暮らしていくにはどんなルールに従わなくてはならないのかをこれから学ぶわけです。自然と身につく部分もあるでしょうが、そこに指南役を入れると、より情操教育的なことがスムーズに進むのでは、という考えのもとに「リードホース」と呼ばれる馬たちが導入されるようになりました。リードホースのほとんどが、競走生活や繁殖生活を終えた年配の牝馬です。やはり、こうした仕事は牡馬には無理で、牝馬にしかできないようです。牡はどうしても、他馬を力ずくで支配しようとするので、若駒たちが危険にさらされてしまうのです。

 リードホースがいるだけで若駒たちは落ちつきますし、リードホースがケンカを仲裁することもあるそうです。不要なケンカは怪我につながりますから、リードホースがいるだけで、非常に大きな保険をかけたようなものですね。

 リードホースは、若駒たちにとっては、親代わりであり、振る舞い方の先生役であり、頼りになる姐御というか肝っ玉母さんでもあります。リードホースの側から見ても、面倒見のいい性格であれば、繁殖としての評価がイマイチであってもこの役割が与えられるわけで、競走馬の余生の選択肢がひとつ増えたと言えます。

 リードホースという言葉は、4、5年前には聞かなかったような気がします。新しい考え方というか手法というか、役割であることは確かです。いいことづくめのように思われるこのシステムですが、ひとつ、難しい問題があります。それは、リードホースとなるのが牝馬であるため、牝のイヤリングの場合は育成に出るまでずっと一緒にいられるのですが、牡のイヤリングの場合、年を越して1歳になると、ませた馬はリードホースに乗っかかろうとしたりするので、そのときには引き離さなければならないのです。つまり、牡のイヤリングは、1歳になるとリードホース抜きで集団生活を送るのです。

 そこで考えられたのが、セン馬をリードホースにするという方法です。ノーザンファームでは、ウオッカが勝ったダービーで1番人気になったフサイチホウオーがその役を担っており、先日スポーツ紙で紹介されていました。セン馬ならどの馬でもできるわけではなく、やはり気性がポイントになるのですが、このやり方が普及すれば、牡のイヤリングにとっても、(元)牡の競走馬の余生にとってもプラスとなり、一石二鳥と言えます。

 今回はイヤリングの放牧地のリードホースについてお話ししましたが、人を乗せはじめたばかりの1歳馬が不安にならないよう、乗馬用の古馬が「リードホース」となって一緒に坂路を駆け上がる――というシーンを、ノーザンファーム空港牧場で見てきました。

 このように、いろいろな局面で若駒をリードする仕事があるのですね。競馬の世界は実に奥が深く、また、調教・育成の技術はまさに日進月歩であることを実感しました。そのなかで取り残されないためにも、つねに最先端の情報に接することができるところに自分の身を置かなければなりません。それは私にとっては取材ということになるのですが、関係者との雑談も、また、勝ち祝いなどの宴席でともに楽しいときを過ごすことも、その手段になり得ます。と、原稿をひと休みして関係者と美味いものを食べに行く自分を正当化しているようですが、物書きにとっては情報が何よりの栄養なのですから、よしとしましょう。

 今、また編集者から電話が来ました。はっきりとは言いませんが、「早く東京に帰ってきてください」と言いたそうでした。

 東京に戻ると、優駿エッセイ賞の予選通過作が待っています。普段している執筆とは違う形での、文字との真剣勝負です。倒れそうになるほど強烈なパンチを食らわせてくれる作品に出会うことを願っています。

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作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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