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ララベルの軌跡を振り返る(後編)

  • 2017年11月14日(火) 18時00分


◆真島騎手「ずっとパートナーだと思っていた特別な馬」

 ララベルは2歳時に続き、3歳時にもNARグランプリ3歳最優秀牝馬に選出された。デビューから2年連続での地方の世代チャンピオン。にもかかわらず、ここまでダートグレードは使われておらず、中央馬との対戦はない。今思えば、それだけ慎重に、大事に使われてきたということだ。

 冬を社台ファームで休養し、4歳になったララベルの初戦は、4月27日、浦和のしらさぎ賞となった。当初の予定では船橋のマリーンC(4月13日)とのことだったが、同厩のブルーチッパーと使い分けられたのかもしれないし、その2週後のことなので、放牧から帰っての仕上がりが遅れていたのかもしれない。

 ともかくララベルの初戦となったしらさぎ賞は、別定57kgを背負っても単勝1.6倍の断然人気。スタートこそイマイチだったものの、1コーナーをまわるところで2番手につけ、持ったまま4コーナーで先頭に立つと、2着のプリンセスバリューに1馬身半差をつける完勝だった。

ララベル

4歳初戦となったしらさぎ賞は57kgを背負って楽勝


 このレース、デビューからずっと手綱をとってきた真島大輔騎手が怪我で休養中のため騎乗できず。鞍上となった吉原寛人騎手のコメントは、「久しぶりを感じさせないいいスタートで2番手につけました。ゲートが開いてから先行できるレースセンスのよさ。先行馬がそろっていたので1400mで後手を踏みたくなかったので、あの位置(2番手)につけて安心しました」と、ララベルの次元の違う強さを強調するもの。しかし荒山勝徳調教師のコメントはちょっと違っていた。

 「とりあえず無事にとだけ思っていました。吉原にも無理だけはするなと言っておいた。とりあえず次走は白紙です。もしなんともなくて元気なら、韓国のトゥクソムC(6月5日)。ガクっときてるようなら社台ファームに放牧。今年の最大目標はJBCレディスクラシック」

 このときの取材メモを見返してみたところ、<仕上がり途上で57キロでも、ララベルが力の違いを見せた。完調で仕上げ十分で出走するのはいつになるんだろう。>と書いてあった。勝っても負けても、荒山調教師の話からは、十分な仕上げ出走したことがない、このときもそう感じられたのだった。

 トゥクソムCに選出されたララベルだったが、実際の選択は後者。ここでも大事をとって休養。そして4歳の2戦目となったのが、JBCレディスクラシックの前哨戦、レディスプレリュード。4歳秋になって、いよいよ迎える中央馬との初対戦。3番手の好位を進んだララベルは、直線4頭の追い比べに加わったが、ゴール前で遅れて4着。それでも勝ったタマノブリュネットから0秒4と、わずかの差だった。

 そして万全の状態で臨めるはずだった2016年のJBCレディスクラシック。しかしレース前日に右後肢臀筋炎を発症。当日の朝に競走除外の発表となった。

 のちに荒山調教師が、「ララベルが万全の状態に仕上がったのは、あのときだけ。ほんとうにあのときの一度だけ」と、力を込めて語るのを何度も聞かされた。陣営にとっては、生涯ただ一度ともいえる、万全の仕上がりで臨むはずだったのが、2016年のJBCレディスクラシックだったのだ。

 個人的なことを書かせてもらうと、そのJBCレディスクラシックの馬券は、グリーンチャンネルで予想を出す必要があり、オフト後楽園の前日発売で、ララベルの単勝と、ララベルからの馬券を買っていた。荒山調教師は、レース前にあまり強気のコメントを出す人ではないので、おそらく仕上がりがどうとかでララベルに期待したのではなかったように思う。ダートグレード初挑戦のレディスプレリュードで差のない4着なら、さらに上積みがあってもいいと考えての本命だったような気がする。そういうわけでJBCレディスクラシックの馬券は全額返還。当日、買い足すこともしなかった。

 そして12月の船橋・クイーン賞に出走したものの、除外の影響があったのかどうか、5番手あたりを追走したが、4コーナーから失速して10着。生涯唯一、掲示板を外したレースとなった(今年のJBC以降、出走しなければだが)。JBCでの除外もあって、ララベルの4歳時は、わずか3戦のみで終えた。

 明けて5歳の冬も休養。復帰戦は4月、船橋のマリーンCとなった。主戦の真島大輔騎手は病気療養中。鞍上は森泰斗騎手となった。ララベルは逃げて直線まで粘ったものの2着。休み明けでもあり、勝ったのが、2年連続でJBCレディスクラシックを制していたホワイトフーガなら仕方ない。12月のクイーン賞から馬体重はプラス25kgの567kg。太め残りのぶんもあったが、そればかりではない。「5歳になってもまだ成長している」と荒山調教師は話していた。

 続く川崎のスパーキングレディーCは悔しいレースとなった。2番手から3コーナー過ぎで先頭に立つと、外からホワイトフーガが並びかけてきた。直線を向いて、そのホワイトフーガを振り切ったと思ったところ、直後で構えていた52kgの3歳馬、アンジュデジールに出し抜けを食らう形で、またも2着に敗れた。鞍上に戻った真島騎手のコメント。

「位置取りも理想的で、ホワイトフーガが来るのを待ってという展開も予想通り。でも内から来られるとは。とにかくダートグレードレースを勝ちたいのに、関係者のみなさんに本当に申し訳ない」

 3カ月の休養があって、臨んだ前哨戦のレディスプレリュードは4着。前年と着順こそ同じだが、圧勝したクイーンマンボからは1秒8も離された。しかしこのときは、「ようやくレースに間に合った」という状態で、荒山調教師にもあまり落胆は感じられなかった。

 そして臨んだ2度目のJBCレディスクラシックは、翌春の繁殖入りが決まっているだけに、おそらく最後になるであろうJpnIの大舞台だった。レース後の荒山調教師は、「去年の状態ほどではありませんが、前走後は疲れが出ることもなく良化してくれました」と。今年、ここまでララベルには勝ち星がなく、最高の状態ではなかったものの、最高の舞台で最高のパフォーマンスを発揮してみせた。

ララベル

JBCの舞台で念願のダートグレード制覇を果たしたララベル


 前編の冒頭、「万全の状態でレースに使ったことがない馬で……」という荒山調教師のコメントがおわかりいただけただろうか。それでも初めてのダートグレード挑戦となった昨年4歳時のレディスプレリュード以降、地方馬同士のレースには出走せず、中央と交流のダートグレードのみ使われた。順調には使えなくとも、それだけ手ごたえは感じていたということだろう。

 最後に、JBCレディスクラシックを制した後の真島騎手の話を紹介しておきたい。

「能力試験の時から、この馬とはずっとパートナーだと思っていた、特別な馬です」

 文中にも出てきたとおり、ララベルの鞍上を他の騎手に譲ったことは2度だけあったが、一度は怪我、もう一度は病気だから仕方がない。それでも「自分以外の誰にも乗ってほしくなかった」という。

 前編でも触れたとおり、厩舎には一時期、南関東で牝馬の頂点を争うブルーチッパーというライバルがいた。真島騎手はブルーチッパーの転入後、2戦だけ騎乗している。直接対決は、ララベル3歳時の東京シンデレラマイル、4歳時のレディスプレリュードの2度。荒山調教師には「ブルーチッパーのほうに乗ってもいい」と言われたことがあったという。おそらくブルーチッパーのほうが評価が高かったレディスプレリュードのときと思われる。しかし真島騎手は、ララベルに乗ることに迷いはなかったという。

「勝負根性があって、強い馬とあたっても引けをとらない走りをしてくれるので、毎回頭が下がる思いで乗らせてもらってます。とにかく無事にということを第一に考えて、それで勝てればいいなと思って乗ってきました。オーナー、調教師、厩務員、みんなの想いをわかっているので、勝てて本当に良かったです」

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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