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好敵手だった名牝たちの血は交わるか

  • 2017年11月23日(木) 12時00分


 先週の東京スポーツ杯2歳ステークスで、モーリスの全弟として注目されているルーカスが2着になった。ワグネリアンに3馬身差をつけられる完敗ではあったが、キャリア2戦目で3カ月ぶりの実戦だったことを考えれば上々の結果と言えよう。

 ルーカスやモーリスの4代母メジロボサツは、1965年の朝日杯3歳ステークス(レース名の馬齢は旧表記)を勝ち、翌66年の桜花賞で1番人気に支持され3着、オークスでは2着となるなど、高い競走能力を発揮した。

 そのメジロボサツを、詩人・劇作家として活躍した寺山修司が掌編「二人の女」にこう書いている。

<桜花賞に参加した二十四頭の牝馬のなかでも一頭だけずばぬけて小さい。小さいばかりではなくて、その生い立ちもずばぬけて不幸であった>

 どのように不幸だったのかというと、嵐の夜、メジロボサツを産んだ母メジロクイーンは、出産後ほどなく死んでしまった。さらに、父モンタヴァルもメジロボサツがデビューしてすぐ世を去った。

<メジロボサツは、中央競馬史上でも数少ない「孤児馬」として、レーシング・フォームに登録されるようになったのだ>

 そう書いた寺山は、メジロボサツがなぜ強いのか、次のように表現した。

<あれは、自分の不幸な生い立ちへ復讐しているのだ。勝つほかに、メジロボサツが愛される道はないのだ>

 しかし、半世紀を経た今も子孫が繁栄しているのだから、サラブレッドとしてのメジロボサツは、けっして不幸ではなかった。

 そんなメジロボサツが3着に敗れた桜花賞を勝ったのは、4番人気のワカクモだった。ワカクモは、伝貧と診断され、殺処分命令をくだされながらも生き延びたクモワカの5番目の仔である。死んでいたはずの馬の仔なので、寺山は作中で<幽霊の子>だとか<亡霊の子>と記している。

 そのワカクモが繁殖牝馬となり、1973年に産んだのが、「流星の貴公子」テンポイントであった。

 テンポイントは、旧5歳時に天皇賞・春、有馬記念などを勝って年度代表馬となったが、翌年1月の日本経済新春杯のレース中に骨折し、闘病の日々を経て、3月5日に死亡した。

 種牡馬となる前に世を去ったので父系として血を残すことはできなかったが、その母系からは、桜花賞馬ダイアナソロン、ダービー馬テイトオー、香港国際カップを勝ったフジヤマケンザンなど、何頭もの活躍馬が輩出している。

 その血は今も脈々とつながれており、ここに記したダイアナソロン(テンポイントのいとこの仔)を3代母に持つジッピー(牡2歳、父ダノンシャンティ、美浦・栗田徹厩舎)が、昨年のサマーセールで572万4000円で落札された。オーナーは前田幸治氏。そして、生産者は、なんと、モーリス、ルーカスなどと同じ戸川牧場なのである。

 寺山が<孤児馬><亡霊の子>と表現した2頭の末裔が、同じ牧場で生まれていたのだ。

 ジッピーの6代母にあたるクモワカ、5代母オカクモの姉ワカクモ、そして、ワカクモの仔テンポイントの3頭は、みな通算11勝で競走生活を終えている。

 ジッピーはまだデビューしていないが、11勝するほど活躍してくれるだろうか。そして、どこかでメジロボサツの末裔――同い年で同郷のルーカスなどと一緒に走ることがあるだろうか。

 ジッピーも、テンポイントと同じく、ひたいに流星のある栗毛馬だ。

 競馬場でその走りを見る日を楽しみにしている。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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