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「すべての人に感謝」藤田伸二元騎手の講演会

  • 2017年11月30日(木) 18時00分


「騎手試験に来年もチャレンジして欲しい」との声に…


 昨夜(11月29日)、新冠町のレ・コード館にて、元JRA騎手として活躍した藤田伸二氏の講演会が開催された。主催はNPO法人レ・コード館自主企画委員会、後援は新冠町教育委員会である。

 藤田伸二氏は、当新冠町で生まれ、小学校卒業までこの町で過ごした。騎手として活躍していた2004年には、新冠町より町民栄誉賞を授与されている。ここで改めて触れるまでもないほどに騎手として氏は優秀な成績を残し、25年間の現役生活を通じて1913勝を挙げ、重賞93勝、うちGIを17勝している。フサイチコンコルドで日本ダービーも制覇しており、引退するまで第一線で乗り続けた人である。

 現役を引退したのは2015年9月の札幌競馬である。当時、突然の引退宣言に驚いたファンも少なくない。その後、すぐに札幌ススキノで飲食店を開業し、現在に至る。そのまま競馬の世界から完全に足を洗った生活を送っているものとばかり思っていたところ、今年夏に藤田氏がホッカイドウ競馬でもう一度騎手として復帰するべく地方競馬の騎手試験を受験したことが報じられ、話題になった。残念ながら試験は不合格となったが、受験のためにトレーニングを行い、体重も管理していたらしく、その合否結果がひじょうに注目されていたことは記憶に新しい。

 そんな氏が故郷でどんな話をしてくれるのかと強い興味を感じ、出かけた。

 会場はレ・コード館大ホール。定刻を少し過ぎた頃、舞台中央に設けられた演台に背広姿の藤田伸二氏が登場した。現役時代から変わらない長髪で、騎手試験を受けたばかりとあって、体型も全く変わっていない。演題は「すべての人に感謝」である。

 張りのある声も相変わらずで、氏は懐かしいこの町での思い出や両親のこと、家族のこと、そして騎手になるまでの生活のことなど詳細に語り始めた。

相変わらずの張りのある声で語り始めた藤田伸二氏

「極貧の生活環境でした」と氏は幼少期を振り返る。1972年(昭和47年)2月生まれの現在45歳。両親が当時、メイタイ牧場に勤務していたことから、牧場で生まれた。

 1歳上に兄、4歳下に妹の3人兄弟で育った。しかし、最初の人生の転機が小学校2年の時に訪れる。両親が離婚し、姓が変わったのである。その時、伸二少年たち兄弟は、父母の前で正座させられ、「どっちの親につくか自分で決めろ」と言われたという。兄と伸二少年が母方につき、妹は父について、まず兄弟がバラバラになった。

 その後、小6の時、母が再婚し、再び姓が変わる。その時に藤田姓になったのである。

 ついでながら記すと、現在、氏は夫人の姓となっており、厳密にいえば「藤田」ではない。しかし、「藤田伸二騎手」としてあまりにも名前が有名になったことから、本人によれば「芸名のようにして」対外的には現在も藤田姓を名乗っている、という。

 騎手を目指すことを考え始めたのは小学校の時のこと。体が小さく、しかも運動神経抜群で、負けず嫌い、目立ちたがりという性格だった伸二少年は、小学校で児童会長、その後、中学校でも生徒会長を務めたらしい。「体育館の端から端まで、バク転、バク宙をやったりしていました」というから、かなり身軽で身体能力が高かったのだろう。

 その代わり、家庭的には必ずしも恵まれた環境とは言えず、「夜の仕事(スナック)をしている母親がまだ寝ているのをまたぐようにして起き出し、登校する」ような小学校時代を送っていたという。毎日、同じ服を着て通学しなければならないことや、お昼のお弁当の時間などが辛かったらしい。

 周囲の大人たちから、「小柄ですばしっこいので騎手になったらどうか」と言われ、中学3年の時に、競馬学校騎手課程を受験するつもりでいた時、すでに試験が終了していることが分かって、1年間、民間牧場などで働いた経験もしている。

 伸二少年に騎手への道を拓いてくれた恩人とも言うべき人は、清田十一調教師(当時)であった。「静内の牧場にいる時、清田先生がやってきて、僕に『騎手になりたいのならトレセンの近くにいた方が有利だろう』と呼んでもらい、滋賀県の牧場に就職した」らしい。

「だから騎手課程に合格できたのは清田先生のおかげです」と感謝を口にした。

 同期は四位洋文騎手、安田康彦元騎手、郷原洋司元騎手等々がいる。「でも当時は、有名な騎手や調教師を父に持つ二世(安田、郷原氏を指す)が断然注目されていて、僕はただの藤田としか扱われませんでしたね」と振り返る。

 持ち前の負けん気と研究心により、藤田騎手はデビューした1991年に39勝を挙げ、新人賞を受賞する。その後も順調に勝ち星を重ねてきたのは周知の通り。また、現役生活25年のうち、フェアプレー賞を19回も受賞している点は、氏の騎乗姿勢に対する高い評価の証と言って差し支えないだろう。

 自ら「極貧生活だった」というように、幼少期の記憶は彼のその後の人生に大きな影響を及ぼしたようで、講演の中では、家族間の金銭トラブルなどについても余すところなく語られた。お金を稼ぐ大変さ、そして大金を手にしたばっかりに人生がおかしくなってしまう人間の危うさを氏がよく理解していることが知れた。

 1時間半に及ぶ講演は、途中から質疑応答形式になり、会場からいくつもの質問が寄せられた。興味深いことばかりであったが、地方競馬の騎手試験について、最後に触れておきたい。関係者やファンの方々から「ぜひもう一度乗って欲しい」との声に後押しされるようにして今年、ホッカイドウ競馬の騎手試験を受験したわけだが、会場からも「ぜひ来年もチャレンジして欲しい」と希望する声が上がり、氏も再受験の方向で考えているらしいことが窺えた。「お世話になった新冠町や新ひだか町の生産馬で、もう一度地方競馬から中央に乗り込んでみたいとの思いがあります」という氏の言葉からも、それが実現すればひじょうに注目度の高い話題になることだろう。

 騎手を引退したとはいえ、まだまだ体力も気力も充実している45歳である。ぜひ勝負服に身を包んだ姿をもう一度見たいと思った。

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岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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