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闘魂注入から年末進行、親父ネタを少々

  • 2017年12月07日(木) 12時01分


 有馬記念のデータを調べていたら、中山馬主協会が主催する、2012年の有馬記念のレセプションパーティの記事に行き当たった。その記事に「田中勝春にビンタをするアントニオ猪木」とキャプションのついた写真が載っている。猪木氏のビンタが勝春ジョッキーの左頬にヒットした瞬間のショットだ。壇上に立ったほかの騎手たちは笑っている。

 それを見て思い出した。猪木氏に闘魂を注入される役として勝春ジョッキーを指名したのは武豊騎手だった。武騎手が誰を指名しようかと考えたとき、一瞬「アイスマン」が脳裏をよぎったという。そう、このパーティにはライアン・ムーア騎手も出席していたのだ。しかし、シャレにならないような気がして、やめておいたという。

 このパーティを報じた別の記事には、猪木氏が、有馬記念の注目馬としてGI初参戦のオーシャンブルーを挙げた、とある。驚いた。この年の有馬記念を勝ったのは、3歳だったゴールドシップ。そして、1馬身半差の2着に、10番人気のオーシャンブルーが来たのである。馬連3730円、馬単5200円という高配当だ。ステイゴールド産駒のワンツーで、ゴルシは1番人気、オーシャンブルーの鞍上はクリストフ・ルメール騎手……と、あとで振り返ると、簡単にとれそうな馬券にも思えるのだが、そういうものだろう。

 師走である。出版界には「年末進行」という言葉があり、最後の数日は誰も動けないので、いつもの月より〆切が数日早くなる。と書いたものの、実際は誰も動けないわけではなく、印刷会社が年末年始は休業するので、私たちもそれに合わせなければならないだけだ。「うちは年末年始も通常通り営業しますので、どうぞ御贔屓に」という印刷会社が新規参入してきたら、私はそこに依頼するよう出版社に要請する。しかし、出版社の人間も休みたいだろうから、従前のままになるような気がする。休みが増えるより、〆切がいつもどおりになるほうがありがたい……というのは、私のように、休むとそのぶん実入りが少なくなる個人事業主の書き手だけか。

 どうでもいい話になってしまった。

 今、札幌の実家に来ている。父ががんセンターで術後の検診を受けるので、それに付き添うためだ。私はその日のうちに帰京してグリーンチャンネルの収録に立ち会い、草野仁さん主催の忘年会にお邪魔する。午前中の〆切が2本あるのだが、前日の夜か、当日の朝までに仕上げなければならない。そのほか、「年内には完成したものをお見せします」と自分で言ってしまった新作が、まだ80枚ほどしかできていない。担当編集者は、私が言った「年内」をいつまでだと思っているだろうか。1997年に上梓した『「武豊」の瞬間』の担当でもあった彼は、若いころは風来坊で、ほぼ毎日作家と飲み歩いてはホテル住まいをしていた。そんな彼も、今は家庭を持っているので、盆も正月もないような生活はしていないはずだ。となると、27日か、28日までには仕上げなければならない。

 さっきまでしんしんと雪が降っていた。今は薄雲の隙間から陽が射しているが、ほどなくまた降り出すだろう。手稲山の頂上付近が雲に隠れて見えなくなっているのが、その徴だ。

 耳栓を外すと、1階で父が見ているテレビの大音量が飛び込んでくる。父が起きている間は、耳栓なしでは仕事ができないのが不自由なところだ。

 2009年の年明けから2012年の12月までほぼ丸4年入院していた父は、いっとき要介護4と認定されるほど認知症が進み、寝たきりでおしめがとれなくなり、私のこともぼんやりとしかわからなくなった。

 その状態から奇跡の復活を果たし、入院中に歩けるようになった。また、ニュースで見た世界遺産の登録に関して私に電話をしてくるなど、認知のほうも元に戻った。正確には、元に戻ったのではなく、別の方向に回復した。

 ボケる前は厳格かつ偏屈で、私が子供のころは、口より先に手が出る昭和の男の典型だった。私が大学入学のため上京するまでの19年間で、トータルで1時間も父とは話をしなかった。

 それが、復活と同時に別人になった。親戚一同がびっくりするほど明るいジジイに変身したのである。よく脳はごく一部しか使われていないというが、もともと使っていた部分が壊れて、別のところで回路がつながったのだと思う。

 顔は、このページの上部にある私の写真をハゲさせ、シワを増やせばできあがる。

 往診の医師や訪問看護の看護士が来て「調子はどうですか?」と訊かれると、「うん、いいよ。悪いのはここだけ」と自分の頭を指さす。いくらウケなくてもやめない。

 入院先や通所介護などではすぐに有名な問題児になる。みんなと一緒に歌わされたりすると「バカらしくて、やってらんねえ」と抜け出し、売店であんパンを買い食いして、ほかの患者にも勧めたりする。

 先月の、ケアマネージャーや看護士、ヘルパーの代表と私を含めた会議の主な議題は、父が食事をとる時刻だった。父は朝飯と昼飯を遅く食べることがチョイワルジジイのステイタスか何かだと思っているらしく、「フッ、今日なんて昼飯3時半に食っちゃったよ」と自慢げに言うのだ。往診の医師が来ても、背を向けて黙々と飯を食っている。

 キリがないので、親父ネタはこのくらいにしたい。

 本当は、仕事の年末進行の話から入り、今年は有馬記念のあと、28日にホープフルステークスがあるので、競馬界の年末進行も大変だという話に持っていくつもりだった。29日には東京大賞典もある。確かに大変だが、こちらの年末進行は楽しみも大きそうでいい。

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作家。1964年札幌生まれ。ノンフィクションや小説、エッセイなどを、Number、週刊ギャロップ、優駿ほかに寄稿。好きなアスリートは武豊と小林誠司。馬券は単複と馬連がほとんど。趣味は読書と読売巨人軍の応援。ワンフィンガーのビールで卒倒する下戸。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』など多数。『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』で2011年度JRA賞馬事文化賞、小説「下総御料牧場の春」で第26回さきがけ文学賞選奨を受賞。最新刊はテレビドラマ原作小説『絆〜走れ奇跡の子馬』。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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