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ゆり高原で暮らすタマモサポート(2) “24時間放牧”でストレスフリーの生活

  • 2018年01月16日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲津村騎手とのコンビで京都金杯(GIII)を制したタマモサポート(写真提供:ゆり高原ホースパーク)


「あわよくばシンザン(35歳没)を抜いてほしい」


 ゆり高原ホースパーク代表の佐藤哲さんは、東京に生まれ育った。北海道に憧れていた佐藤さんは、牧場なら住み込みで働けるだろうと考え、新冠町にある競走馬の育成牧場に勤め始めた。それが馬との運命的な出会いだった。33年前、佐藤さんが23歳の時だった。

「育成牧場は馬に乗れなければ仕事にならないので、最初から乗せられましたね。ど素人でしたので、最初は馬から落ちまくりでした(笑)。中にはすごい馬が来ることもありますし、責任がつきまといますから、仕事が楽しいとはあまり感じませんでしたけどね」

 だが、佐藤さんにとって、馬に関わる仕事は天職だった。 

「自分に合っていたのでしょうね。馬とは離れられなくなっちゃいましたから」

 そんな佐藤さんも 何回か馬の世界から離れたことがあるという。

「それでもやはり馬の方に戻ってしまうんです」

 育成牧場で馬に携わるうちに、ホーストレッキングができる乗馬クラブを立ち上げるのが、佐藤さんの夢となった。

「当初は北海道で乗馬クラブを開くつもりだったのですが、家の事情で親の生まれ故郷である秋田に行くことになったんです」

 佐藤さんが41歳の時に、秋田の地でついに夢を実現させた。ポニーからサラブレッドまで4頭の馬で始まったが、現在は6頭の馬がいる。

「サラブレッドが2頭に、クォーターホース、トロッター、道産子、ポニーです」

 その中の1頭が、タマモサポートだ。

「ウチに来た時はまだ現役を引退して1か月くらいだったので、本人はまだ現役バリバリのつもりでいたのでしょう。目付きも何もかも現役の競走馬そのものという感じで、他の馬が寄り付かなかったです。たいがい新入りがいじめられるのですが、タマモサポートに関しては来たその場でボス確定みたいな感じでした(笑)。普通は放牧地での自分の地位が確定するまでは、馬同士で大喧嘩になるのですけど、タマモサポートには最初から他の馬がへりくだっていました(笑)」

第二のストーリー

▲青の馬服を着用しているのがタマモサポート(写真提供:ゆり高原ホースパーク)


 ゆり高原ホースパークは昼夜放牧を行っていて、牝馬も一緒に同じ敷地で過ごすため、来る前に去勢が施されていた。それでも他の馬を圧倒するようなオーラを放っていたというのは、オープン馬の貫禄なのかもしれない。

「他の馬との相性は気を遣いましたけど、自分自身は競走馬を扱っていた経験がありますから、むしろ現役が来た!という感じで楽しめましたね」

 だが今では別馬かというほど、丸くなっているという。

「ウチは24時間、放牧というスタイルにこだわっているのですが、そうするうちに

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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