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名馬ノースフライト。いくつもの大きな仕事を終えて

  • 2018年01月25日(木) 12時00分


 1994年の安田記念などを勝ち、同年のJRA賞最優秀5歳以上牝馬(旧馬齢)に選出された名牝ノースフライトが、1月22日、心不全のため死亡した。28歳だった。現役引退後、故郷の浦河・大北牧場で繁殖牝馬となったのち、余生を過ごしていた。

 大北牧場の齋藤敏雄氏がコメントしているように「本当に天からの授かりもの」と言うべき馬だった。新種牡馬トニービンの仔を宿していた母シヤダイフライトは、社台グループのセリで、上場馬中最安の410万円で落札された。そのときお腹にいた仔がノースフライトで、買い手がつかなかったためオーナーブリーダーとして走らせたら、GIを2勝し、マイル女王となったのである。

 主戦騎手をつとめた角田晃一調教師の「今思えば本当に強い馬たちと走っていた」という言葉にも、大きく頷かされた。

 ノースフライトは1993年5月1日、栗東・加藤敬二厩舎の所属馬として4歳未出走戦(旧馬齢)でデビューし、初陣を9馬身差の圧勝で飾った。しかし、同じ父を持つ同期のベガはすでに桜花賞を勝っており、次走のオークスで二冠牝馬となる。また、牡馬クラシック戦線の三強の一角としてダービー馬となったウイニングチケットもトニービンの初年度産駒だった。

「遅れてきた大物」と言うべきフライトの2戦目は、7月25日、古馬が相手となる小倉芝1700メートルの足立山特別。武豊騎手を背に迎えたここでは2着を8馬身突き放す。

 3戦目の秋分特別は5着に敗れるも、角田騎手(当時、以下同)に乗り替わった府中牝馬特別で重賞初勝利を果たす。

 GI初出走となった次走のエリザベス女王杯は「ベガはベガでもホクトベガ」の名実況で知られる一戦。フライトは、1着ホクトベガと3着ベガに挟まれた2着だった。

 つづく阪神牝馬特別から武騎手に手綱が戻り、同レース、翌94年1月の京都牝馬特別、3月のマイラーズカップと3連勝。なかでもマイラーズカップは豪華メンバーで、2着マーベラスクラウンはこの年のジャパンカップ、3着エルウェーウィンは92年の朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)、4着ネーハイシーザーはこの94年の天皇賞・秋を優勝する。

 次走、角田騎手とコンビを再結成して臨んだ94年5月15日の安田記念もまたすごいメンバーだった。何より、これだけの強さを見せてきたノースフライトが5番人気だったという事実が、それを示している。

 1番人気は、武騎手が乗る、仏アンドレ・ファーブル厩舎の名牝スキーパラダイス。武騎手はこの馬で4カ月後の9月に仏ムーランドロンシャン賞を勝ち、日本人騎手初の海外GI制覇をなし遂げる。

 2番人気は英1000ギニー、仏ジャックルマロワ賞など欧州GIを4勝していたサイエダティ。3番人気はこの年のJRA賞最優秀短距離馬となるサクラバクシンオー、4番人気は仏GIフォレ賞の勝ち馬ドルフィンストリートと、まさにワールドクラスの駿馬による競演となった。

 ノースフライトは、ここで2着に2馬身半差をつけ、GI初制覇を果たした。

 秋初戦のスワンステークスはサクラバクシンオーの2着となるも、ラストランとなったマイルチャンピオンシップではバクシンオーに1馬身半差をつけて優勝。GI2勝目を挙げ、有終の美を飾った。

 この94年、日本のターフで主役を張ったのは、クラシック三冠と有馬記念を圧倒的な強さで制したナリタブライアンだった。

 ねじ伏せるような豪脚で王座に君臨したブライアンとはまた違ったアプローチで、ノースフライトは、優れた競走馬とはいかなる走りをするのかをGIの大舞台で見せてくれた。

 また、ノースフライトは、担当厩務員が京都大学卒の才女・石倉幹子さんだったことでも話題になった。女性厩務員の担当馬がGIを勝ったのは初めてのことだったし、当時は女性のホースマンが少なかったので、必要以上に注目されて大変な思いをしたに違いない。

 JRA初の女性騎手として細江純子、牧原由貴子(旧姓)、田村真来さんがデビューしたのは96年。彼女たちが競馬学校に入学した93年にも「将来女性騎手誕生か」とニュースになったので、ちょうど女性のホースマンに関心が集まった時期だった。なお、95年の桜花賞を勝ったワンダーパヒュームは藤井美津子厩務員、98年のオークスを勝ったエリモエクセルもこの石倉厩務員の担当馬だった。

 今、卓球の女子選手の層が厚くなってレベルが上がっているのは、子供のころに福原愛選手の活躍を見て憧れた世代がプレーヤーになったからだろう。同じように、石倉さんと、彼女が「フーちゃん」と呼んだノースフライトの活躍に刺激され、馬に関する職業を志した女性も多いはずだ。

 ノースフライトは、繁殖牝馬として重賞優勝馬を出すことはできなかったが、産駒のミスキャストが種牡馬となり、2012年の天皇賞・春を勝ったビートブラックを送り出した。さらに、8番仔ハウオリの娘オハナ(3歳、父ディープインパクト、美浦・堀宣行厩舎)が2戦2勝でクラシックに備えるなど、母系の血もしっかりつながれている。

 1年半ほどという短い現役生活だったが、その走りを通じて、いくつもの大きな仕事をやってのけた。

 名馬ノースフライト、安らかに。

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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