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【中内田充正×藤岡佑介】第2回『現実を目の当たりに…日本人がどれだけ頑張っても限界がある』

  • 2018年04月11日(水) 18時01分
with 佑

▲ヨーロッパからアメリカへ、海外を渡り歩いた訳とは?


先週4月5日に飛び込んできたショッキングなニュース――「ダノンプレミアムが挫跖のため皐月賞を回避」。主役に起こったまさかの事態に、動揺も広がりました。「皐月賞は残念ながら出走できませんが、ダービーに向けて走れる体勢に整えていきます」と中内田調教師。気持ちを切り替え、“ダービー”に向けて進んでいるそうです。さて、今週のインタビューでは中内田調教師の異色の経歴をたどっていきます。海外を渡り歩いた、その訳とは?(取材・構成:不破由妃子)

【中内田充正厩舎のオフィシャルHPはこちらから!】http://nakauchida.com/



「28歳で競馬学校に入る人なんて、なかなかいませんよね」


佑介 異色の経歴などもいろいろ伺っていきたいんですけど、中学生時代はジョッキーになりたかったというのは本当ですか?

中内田 うん、本当はジョッキーになりたかった。ちょうど「オグリキャップと武豊」の世代で、やっぱり花形やし、単純に憧れたよね。でも、中学生の時点で、体重が50キロくらいあって…。

佑介 あ、そうだったんですね。当時の競馬学校の受験資格は、たしか43キロ以下でしたから、さすがにちょっと厳しいかもしれませんね。今の先生の体型なら、ジョッキーでも全然おかしくないですけど。

中内田 結果的にはそうやけど、当時はさすがに「無理やな」と。でも、実家が育成牧場だったから、何かしら馬に携わる仕事がしたいという漠然とした思いはずっとあったんだけどね。

佑介 それで留学先にアイルランドを選んだんですか?

中内田 そうやね。実際、向こうの高校に編入してからも、近くの厩舎で研修させてもらったりしながら、週末だけはずっと馬に乗ってた。

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JRAジョッキーの藤岡佑介がホスト役となり、騎手仲間や調教師、厩舎スタッフなど、ホースマンの本音に斬り込む対談企画。関係者からの人望も厚い藤岡佑介が、毎月ゲストの素顔や新たな一面をグイグイ引き出し、“ここでしか読めない”深い競馬トークを繰り広げます。

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1986年3月17日、滋賀県生まれ。父・健一はJRAの調教師、弟・康太もJRAジョッキーという競馬一家。2004年にデビュー。同期は川田将雅、吉田隼人、津村明秀ら。同年に35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を獲得。2005年、アズマサンダースで京都牝馬Sを勝利し重賞初制覇。2013年の長期フランス遠征で、海外初勝利をマーク。2018年には、ケイアイノーテックでNHKマイルCに勝利。GI初制覇を飾った。

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