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中野省吾の、これから

  • 2018年05月29日(火) 18時00分


◆「ぼくに良くしてくれた人は、みんな幸せにしたい」

 2009年5月にデビューした中野省吾は、騎手として9年間で地方通算5,455戦505勝(ほかに中央21戦0勝)という成績を残した。2016年には159勝を挙げ、南関東リーディングで4位という成績まで残し、しかし突然騎手をやめることになった。後悔はないのだろうか。

「(後悔は)一切ないですよ。いま、めっちゃ楽しいです。5月の連休に、富山から知り合いの女の子が出てきて、デートがてら大井競馬場に行きました。初めて地方競馬の馬券を買ったんです、3レースだけ。的場さんの複勝を買ったら、的場さん、がんばってくれました」

 地方競馬の馬券を買ってるということは、騎手として復帰するつもりはないのだろうか。たとえば大井のトップジョッキー、御神本訓史も、さまざまに制裁を繰り返した結果、2015年度に騎手免許が更新されず、1年後の試験も不合格。2年のブランクがあって2017年度に騎手免許を再取得。今また南関東のトップジョッキーとして活躍している。その間は厩務員という立場で調教をつけるなど、復帰の時を待っていた。しかし中野はそうではないらしい。

「(復帰は)ありえないです。もうやる気ないです。戻ってもドキドキしないですもん。御神本さんとは、そこが違う。たぶん、反省させたくてクビにした(騎手免許が更新されなかった)と思うんです。地全協からも呼ばれて、『来年はまた(試験を)受けることができるから、受けろよ』って言われたんですけど、もう無理です。受けないですよって言っちゃいました」

 中野は、ワールドオールスタージョッキーズに出場する前に話を聞いたときに、外国でも騎乗したいと話していた。そのために英語の勉強もしていると。日本の騎手免許(地方でも中央でも)があれば外国で騎乗することもそれほど難しいことではないが、日本の騎手免許が失効しているとなると、どこかで免許試験を受けなければならず、それは容易なことではない。

「外国で乗ることはあるかもしれません。実際に、クビになったあとから、いくつかの国の競馬で『申請してみないか』とか『乗らないか』という話は来ています。中には免許を出してくれるというところもあります」

 ただそれが、どこで、いつから、ということについては言葉を濁した。



 インタビューの最初(前回分)で、「日々成長できていますし、前に進んでます」と話していた中野だが、競馬以外のことにも、さまざまに興味はあったようだ。

「新しいことは、もう(騎手のときから)やってました。ただ副業は禁止されているので、簡単な提案と株を持つ程度でしたが。外に出て、社会勉強して、競馬の中でも新しいことをしたかったんだけど、それも気に入られてなかったんでしょう。ようは、塀の中で傷の舐め合いをしている人たちがいて、ぼくは傷を舐めさせてももらえないし、舐めてももらえなかった。そのぶん、外の人たちとの付き合いはたくさんありました」

 では、これから中野はどうやって生きていくのだろう。

「とりあえず、憎しみは晴らしたい。クビになった(免許が更新されなかった)あと、『顔もみたくねぇよ』と言う人もいました。もう戻ってくるなってことだろうと。ぼくのマイナスになるような情報も出されました。ただ、そう言った人にも、いつか顔を見せてやりたい。絶対に見返してやりたい」

 一方で、世話になった人たちへの感謝も忘れない。

「自分をここまでにしてくれたのも競馬界です。実際、これだけ人としゃべれるようになったのも競馬のおかげです。ぼくは富山県のド田舎育ちで、そこから出たくもなかったんです。もともと競馬に興味があったわけでもなく、何か夢があったわけでもない。親が引いてくれたレールです。親も競馬とは関係なかったんですけど、中学生のときに『こういう道もあるよ』って提案されたとおりに来た。成績的には地元で一番上の進学校に行くこともできたんですけど、そういう道は提示されなかった。それで競馬場に入って、先輩たちに罵倒されて、ちょっとビビりながらもやってきたという感じです。

 そういう中で、ぼくに良くしてくれた人に対しては、みんなを幸せにしたい。ずっと応援してくれた人とか、心配してくれた人とか、それこそクビが決まったあとに乗せてくれた人とか、みんなで幸せになりたい。人は成長していくにつれて、周りの環境とかも含めて進化していくと思うんです。でも、普通の人とは感覚が変わってきちゃってるかなとは思いますね」

 競馬の世界には「競馬しか知らない」「競馬こそすべて」という人も少なくないが、中野はそういう風潮や人に違和感があるのではないか。競馬と出会って今の中野省吾がいることは間違いないが、競馬がすべてではない。それゆえ、騎手であり続けることにもこだわらない。外国に出ていくことについても、必ずしも騎手として世界的に成功したいというわけではなく、その先にみえてくる何かを想像しているのではないだろうか。

1964年生まれ。グリーンチャンネル『地・中・海ケイバモード』解説。NAR公式サイト『ウェブハロン』、『優駿』、『週刊競馬ブック』等で記事を執筆。ドバイ、ブリーダーズC、シンガポール、香港などの国際レースにも毎年足を運ぶ。

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