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最期まで愛され続けた昭和末期のマイル帝王「ポーちゃん」

  • 2018年07月03日(火) 18時00分
第二のストーリー

▲穏やかな表情をみせるニッポーテイオー(写真提供:うらかわ優駿ビレッジAERU)


80年代の短距離路線を賑わせたニッポーテイオー


 有馬記念で人気薄で激走し、波乱の立役者として人々の記憶に残ったダイユウサクが余生を送っていた浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUで28歳で亡くなったのは、2013年12月8日のことだった。そのダイユウサクと放牧地でともに行動をしていたのが、中距離の王者に君臨したニッポーテイオーだった。そのニッポーテイオーもまた、2016年8月16日に33歳で天に召されている。

 ニッポーテイオーは1983年4月21日に北海道静内町(新ひだか町)の千代田牧場で生まれた。父はリィフォー、母チヨダマサコ、母父ラバージョン、1つ下の半妹にエリザベス女王杯に優勝したタレンティドガールがいる。ちなみに3代母のワールドハヤブサの産駒に1982年のエリザベス女王杯を制したビクトリアクラウンがおり、4代母のオーハヤブサは1962年のオークスに優勝している。ちなみにこの母系を遡っていくと、1908年に小岩井農場が輸入して日本において一大牝系を築いたビューチフルドリーマーに辿り着く。

 美浦の久保田金造厩舎の管理馬となったニッポーテイオーは、1985年10月6日に東京競馬場でデビューし、のちに阪神大賞典を勝ったメジロボアールを下して、新馬勝ちを収めている。その後、400万条件の万両賞で7着と掲示板を外すも、年が明けてからG3の京成杯で2着、G2の弥生賞では3着に入り、皐月賞への優先出走権を手中に収めたものの、ダイナコスモスの8着に敗れた。その後、当時ダービートライアルだったNHK杯(G2・現NHKマイルC)では2番人気に支持されるも8着と敗れ、以降、1600mから2000mまでのマイル、中距離へと路線を変更。その初戦となったニュージーランドT4歳Sで重賞初制覇。ラジオたんぱ賞で皐月賞馬ダイナコスモスの2着、函館記念(G3)ではレコードタイムで重賞2勝目、秋になって毎日王冠でサクラユタカオーの2着、スワンSでは2着馬に2.1/2馬身差を付けて完勝し重賞3勝目を挙げるなど、好走を続けた。だが堂々の1番人気に推されたマイルCSでは、タカラスチールの後塵を拝しG1勝利はお預けとなった。

 5歳(馬齢旧表記)となった1987年シーズンは、京王杯SCに優勝して1番人気で出走した安田記念では、フレッシュボイスに敗れてまたしてもG1勝利は先に持ち越された。続く宝塚記念では2着、夏を越して秋初戦毎日王冠でも3着と敗れはしたが、天皇賞・秋で待望のG1タイトルをものにすると、マイルCSでも圧勝してG1、2勝目を挙げ、この年の最優秀スプリンターおよびJRA賞最優秀5歳以上牡馬に選出されている。

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北海道旭川市出身。少女マンガ「ロリィの青春」で乗馬に憧れ、テンポイント骨折のニュースを偶然目にして競馬の世界に引き込まれる。大学卒業後、流転の末に1998年優駿エッセイ賞で次席に入賞。これを機にライター業に転身。以来スポーツ紙、競馬雑誌、クラブ法人会報誌等で執筆。netkeiba.comでは、美浦トレセンニュース等を担当。念願叶って以前から関心があった引退馬の余生について、当コラムで連載中。

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