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引退レースで起こったひとつのドラマ ――ガンと闘っている大下智元騎手インタビュー(第3回)【無料公開】

  • 2018年08月02日(木) 18時02分
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▲ダービー当日の京都競馬場で迎えた引退レース、“メイショウ”でつながるひとつのドラマが (C)netkeiba.com


日本ダービー当日、京都競馬場でひっそりと引退レースを迎えた騎手がいる。大下智元騎手(32歳)。JRA通算17勝、11年間のうちJRA未勝利の年は4回を数えた。いっそのこと早々に引退してしまった方がラクだったかもしれない。それでも騎手でい続けることを選んだ彼を突然、ガンが襲った。ステージ4の甲状腺ガンは体を蝕み、手術により視力と声を失うかもしれないと宣告された。そんなどん底から「落ち込んでもしゃーない」と前を向き、レースに復帰、そして引退を迎えた。

「ネットでバッシングの嵐だった」という現役時代から闘病生活、そして騎手復帰を目指す過程をじっくり語っていただいた。「競馬ファンの方だけでなく、病気の人がちょっとでも元気が出たら」と本人たっての希望で全編無料でインタビューを公開します。(取材・構成:大恵陽子)


※インタビューは全3回、7/19、7/26、8/2に順次公開いたします(前回の記事はこちら)。

「学さんがオーナーに頭を下げてくださった」


──ガンになったことが引退の理由ではなかったんですか?

大下 実は3年くらい前から「引退」という文字は頭にあったんです。自分の人生のビジョンを考えた時、このまましがみつくのかどうするのかって。辞めてしまうことは簡単で、続けていくことの方が難しい。でも、自分で踏ん切りをつけないといけない日はいつかはくるので、どのタイミングかなって自分で考えていました。そのタイミングで病気もありました。

 周りから見たら病気になったから辞めたって思われがちですが、根本的な最初の「辞める」っていうことは病気からではありません。それは後付けというか、病気が分かって「辞めときって言われてるのかな」って思ったのが理由の1つというだけです。

──「続けることの方が難しい」とおっしゃったように、失礼な言い方になりますが決して脚光を浴びる成績ではない中、それでも「騎手であり続けたい!」と思い続けることができた原動力は何でしたか?

大下 年間を通して騎乗数が0ではなく、見てくれている調教師さんもいて、「クセのある馬やけど」って調教に乗せていただくこともありました。たしかに競馬に乗れていない週末、家でレースを見ているとすんごい落ち込むこともありました。でも、レースでたった1頭乗ることでその落ち込みがなくなるんです。1頭だけでも競馬に参加できる喜びって大きいんです。

 周りからは「なんで続けてるねん」「勝てへんのにいつまで続けるねん」って声もあったと思います。これは僕に限らずどのジョッキーもそうだと思いますが、最後の「辞める」っていうのは自分の意思なので、周りが決めたり言うことではないと思います。そこだけは自分の頑固な意思で続けていた部分はありますね。

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▲「騎手を辞めるのは自分の意思、周りが決めたり言うことではないと思います」


──レースに乗れる喜びっていうのはそれだけ大きなパワーを持つんですね。

大下 やっぱり嬉しかったですね。レースに参加できて、たとえ負けて上がってきても、その中で1つでも上の着順を目指したり次に繋がる競馬をするっていうのは達成感がありました。

 ステキナシャチョウで京都で2着に来た時、クビ差の際どい競馬やったんですよね。僕、それが3カ月ぶりに乗ったレースだったんです。ゴール板を過ぎて「あ、負けたな」って分かった時に最初に沸いてきた感情が「悔しい」でした。その時に「まだ自分はジョッキーとして気持ちは残っているんや」と思えたんで、続けようと決めました。久しぶりにレースに乗って「2着でよかった」じゃなかったんです。フリーになってからだったんですが、気持ちが腐ってなくてよかったです。そこから数年続けていく原動力になりました。

──今年5月27日、日本ダービー当日の京都競馬2Rメイショウシンバ15着がラスト騎乗となりました。

大下 6月20日付で引退し、池添学厩舎に調教助手として入れてもらうことが決まっていました。「それまでに1回は乗りたい、このまま乗らずに引退したら自分に負けたことになる」と思いました。元から騎乗依頼がある方ではなく、(池添)学さんがメイショウの松本オーナーに頭を下げてくださり、乗れることになりました。

 学さんがお願いしてくださったこと、松本オーナーが「いいよ」と言ってくださった思いを大事にしたくて、それで最後にしようって思いました。偉そうかもしれないですけど、人との繋がりでここまでこられたと思っています。ジョッキー人生の中で一番感謝しました。馬券を買ってくださる方がいてこそですし、ガンのことは公表していなくて、でも関西テレビさんのドキュメント番組が放送になれば公にもなるしっていろいろ考えたんですけどね。

──引退レースを勝利したのは同じ「メイショウ」の冠名の幸英明騎手。口取り撮影には一緒に写っていましたね。幸騎手は普段から慕っている先輩だそうですね。

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▲普段から慕っている幸英明騎手とともに、Wメイショウで記念撮影 (C)netkeiba.com


大下 ターフビジョンを見て「あ、幸さん勝った!」と気づきました。入線後、流していたらちょうど幸さんがいらしたので「おめでとうございます」って言ったんです。そしたら近寄ってきてくださいました。関テレの密着カメラが回っているのが分かっていたので、「なんてドラマチックなんや」って内心思いました(笑)。

 実はパドックでもそんな場面があったんです。仲のいい後輩の松山弘平が1番人気で、パドックでも隣。俺がこれで最後にするっていうのを薄々勘づいていたのか「がんばってくださいね」って言われたんです。「おう、お前も人気してるし勝ちや」って言ったやり取りもドラマチックやなって思いました。

 でも幸さんが勝って、「あ、マツじゃなかった。幸さんやな(笑)」って思った瞬間でした。これで最後って宣言していたわけじゃないですが、同期には「体力的にも…」という話をしていたら、「パドック、足上げに行くわ」って来てくれました。

これからは誰かを支えるうちの1人になれたら


──小学生の頃から夢見続けた騎手を引退し、池添学厩舎で攻め馬専門の調教助手になりました。池添学調教師とはどんな縁があったのですか?

大下 競馬学校2年生の時に先生が厩務員過程にいたんです。デビューしてからは松山が池添兼雄(池添学調教師のお父様)厩舎に所属したので、僕も遊びに行っていました。なので、昔から喋ることはあったんです。

 所属していた梅内忍厩舎が解散した後、先生が調教師試験に受かられたんですが、「よかったら開業したらうちで調教を手伝ってもらいたい。乗れる馬は競馬も考えてる」って声を掛けてくださったんです。嬉しかったですし、トレセンでの居場所を与えてくれた人なので感謝しかありません。

 退院して普通のご飯が食べられるようになったらすぐにご飯に誘ってくださったり、たまに家に呼んでいただくこともあります。公私共にお世話になっています。最後もオーナーに頭を下げてくださって、神ですね。先生に対してはノーと言わないって決めました。最強のイエスマンでいます(笑)。

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▲大下元騎手を引退後も支える池添学調教師、実兄は池添謙一騎手


──池添学調教師は強豪・明治大学馬術部の主将だったとお聞きしました。そんな厩舎での調教助手としての毎日はどうですか?

大下 先生は乗るのも馬を作ることも、知識と技術がすごいなと思います。見習っていきたいですね。また騎手時代とは違って、厩舎の馬はどんな馬でも乗れないとダメなので、そこも技術をつけないとダメだと感じています。厩舎にはいい馬が多くて、いきなりブエナビスタの仔とか「ひゃあ〜」ってなるんですが、これだけいい馬の調教に乗れることは人生でなかなかできる経験じゃないですよね。

 手入れを手伝ったり脚元を一緒に見て学ばせてもらったりしています。自分が調教で乗った馬がレースで勝つのは嬉しいですし、厩舎みんながハッピーになれることなんで、足を引っ張らないように、そして厩舎にちょっとでも貢献していきたいですね。騎手時代から朝が1時間半早くなったことにはなかなか慣れませんが(苦笑)。

──改めて騎手生活を振り返ってどうですか?

大下 周りに恵まれての11年やったなって思います。今度は誰かを支えるうちの1人になれたらなって思います。そうそう、以前パドックで「大下がんばれよ!」って言われたことがあるんですよ。それも、おっちゃんの声で! 珍しいなぁと思っていたら2周目でまた「おい!」って聞こえてきて、「まだ居てくれてんねや。そんなに僕のこと好きなんや」って思ったんです。そしたら「間違えてお前を買うてもーたんやぞ!」って(笑)。

 面白くて一番印象に残っているヤジですね。僕たちはパドックで反応してはいけないんですが、聞こえてきました。買い間違えてもわざわざパドックまでヤジりにくるって愛がないとできないことやと思うんで、ありがたいなって思いました。一度会いたいですね。会ってもその人かどうか分からないですけど、京都競馬場での出来事でした。

──今回のインタビューは大下騎手のご希望で全編無料公開となっています。読んでくださっている多くの方に改めてメッセージをお願いします。

大下 いまガンが多いって言われていますが、31歳でまさか自分が!? という思いでした。母親はガン保険に入れていたんですが、僕は35歳になったら入ろうと思っていたんです。なんで入らへんかったんやろって未だに悔やんでいます。でもホント、なると思わないですもんね。みなさん、検査の前には保険の見直しを!

 引退後にはドキュメント番組も放送していただきました。反響が結構あったようで、関テレの人も「関西限定の放送だったけど、再放送や全国放送ができたらいいね」と話していました。偉そうかもしれませんが、競馬好きの人だけでなく病気の人が見て、ちょっとでも元気が出たらって思います。そして競馬では、僕みたいな者でも応援してくれる方もいらっしゃいました。

 競馬が好きでも僕の存在すら知らへん人ももちろんいる中で11年間騎手をさせていただいたことは感謝しかないです。これからも売り上げに貢献していただいたり、1頭の馬や1人の騎手など色々な目線で競馬を楽しんでいただいて、立場は変わりますが、僕も皆さんと一緒に競馬を盛り上げていければと思います。

(文中敬称略、了)

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