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貴重な“草競馬”開催の地、浦河競馬祭が52年の歴史に幕

  • 2018年10月31日(水) 18時00分

「お遊び」を楽しむ気質や文化は一体どこへ?


 一ヶ月ほど前に「来年から浦河競馬祭が休止になるらしい」という噂話が聞こえてきた。

 まさか、とは思ったが、この話を私に伝えてきた人のことを考えると、ひじょうに確度の高い情報と考えざるを得ず、それ以来ずっと気になっていた。

 その「噂」が、やはり「本当」だと知ったのは、昨夜に行なわれたとある会議に出席してのことだ。「検討」ではなく、どうやら「決定」なのだという。何ともあっけない形で、52年間続いてきた伝統行事が、ひっそりと幕を閉じようとしている。

 浦河競馬祭は、1966年(昭和41年)、現在のBTC軽種馬育成調教技術者養成研修所のある旧・JRA日高育成牧場内800m馬場を会場として発足した。「年々減少しつつある和種(どさんこ)の保護や地域住民の馬に対する理解を深める」目的で企画され、「軽種馬生産に関わる若者が、自ら騎乗技術を覚え、将来の軽種馬生産の機動力とする」ことも重視されていた。(浦河町史、2002年)

 以来、途中で、口蹄疫発生などによる中止があったものの、今年まで「生産地で唯一開催される草競馬」として、回を重ねてきた。

 主催は、浦河軽種馬生産振興会青年部と荻伏軽種馬生産振興会青年部。つまり、町内の軽種馬生産牧場の二世たちが中心となり、準備を進め、実施してきたわけだが、近年、生産牧場戸数の減少に伴い、部員数もまた年々減り続けており、休止のやむなきに至った主な原因もこのあたりにある、という。

生産地便り

浦河競馬場でのレース風景(1996年時撮影)

 かつて、私が若かりし頃(昭和時代)には、今とは比較にならないほど多数の青年部員が在籍しており、浦河競馬祭は、浦河軽種馬生産振興会青年部が独力で開催できていた。

 昭和時代、大げさにいえば、どこの牧場にも後継者がいて、浦河だけでも青年部員はざっと70〜80人は在籍していた。それが、現在は、浦河の場合10人を切るレベルにまで激減しており、荻伏青年部との共催で何とか維持してきたものの、それもついに限界に達したということらしい。

 往時と現在とを比較すると、まさしく隔世の感があるが、もうひとつ、深刻なのが、出走馬の減少である。ポニーレースこそ、ジョッキーベイビーズ出場を目指す子供たちが一定数いて、ほぼ横ばいで推移しているが、トロッターや和種(どさんこ)、混合和種などが年々少なくなってきており、さらに繋駕レースなどもすでに絶滅寸前の状態で、用意したレース数をこなせなくなってきていた。軽種のレースにエントリーしてくるのは、このところ数頭程度しかおらず、予選レースの上位馬が決勝に進む、という基本形が成り立たなくなっていた。

生産地便り

浦河競馬場でのレース風景その2(1996年時撮影)

 草競馬を取り巻く環境がこのように厳しくなってきているのは、何とも残念な話だが、これも時代の趨勢なのだろうか。若い世代が少なくなっているのと同時に、牧場関係者の「気質」も変化してきているとは感じる。草競馬は、普段の業務と直接関係のない「お遊び」の分野であり、あるいは「たまの休日にわざわざ馬に乗ってレースに出るなんて気が進まない」というような風潮が一般的になってきているのかも知れない。

生産地便り

北海道予選のゴール前写真(今年7月に撮影)

 かつては、乗馬として飼養しているリードホースなどを仕上げ、日頃の自分の技術を披露したいと「燃える」ようなタイプの人々が少なからず存在していたが、今はそういう人々自体が「絶滅危惧種」になってしまった。

 家族経営の牧場の多くが後継者不在になり、夫婦だけで切り盛りするところも少なくない。また、昭和時代には生産の傍ら、自分の牧場の敷地内に小さな馬場を作り、育成も手掛ける牧場が結構あったが、現在はそういう中途半端な形の育成牧場は徐々に成り立たなくなっており、ほとんど専業化してきている。その育成牧場も人手不足のために、インド人などの外国人騎乗者を雇用して何とかしのいでいるのが実情である。

 ともあれ、これで日高ではただひとつ存続していた草競馬がなくなることが決まり、来年は、同じ会場(コース)を使用して「ジョッキーベイビーズ北海道予選」だけが実施されることになりそうだ。

生産地便り

北海道予選口取り・招待状を持つ平賀場長(今年7月に撮影)

 この稿を書くために古い写真を引っ張り出してみた。1996年(と思われる)には、当時、日本中に名前を知られていたポニーの「ナリタブラリアン」が来場したこともあった。またその少し前の20周年記念(1986年)には、テスコボーイとトウショウボーイの「親子対面」などというイベントを行っていたのも思い出す。

生産地便り

浦河競馬場に来場時のナリタブラリアン(1996年時撮影)


生産地便り

浦河競馬ミスシンザンとナリタブラリアン(1996年時撮影)

「生産地」としての幅の広さ、余裕のようなものが急速に失われて来ている気がしてならない。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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