スマートフォン版へ

1940年代の衝撃の競馬実況

  • 2020年08月08日(土) 12時00分

実況に対する飯田さんの哲学とは


 ほんの1週間ほど前には肌寒さを感じるほどだったのが、一転して猛暑に見舞われている今日この頃。新型コロナウイルスの影響もある中、みなさんお元気でお過ごしですか?

 さて、今週と来週の「週刊競馬ブック」に、「戦時下の“無観客競馬”『能力検定競走』の秘史を探る」という記事を寄稿しました。

 今春以降、多くの競馬が“無観客”で開催されたのはご存知のとおり。それが、戦争中に行われた「能力検定競走」以来ということも、たびたび紹介されていました。

 とはいえ、それらの競走がどんなものだったのかはほとんどわからなかったので、いろいろ調べてみました。すると、実はそれらが全くの“無観客”で行われたわけではなかった、とか、通算回数にカウントされていない「目黒記念」、「中山記念」、「京都記念」が行われていた、など、「そうだったのか」と思うようなことが次々と明らかになったのです。

 それらをかいつまんでまとめたものが今回の記事。ご一読いただければ幸いです(netkeiba.comのコラムで競馬週刊誌の宣伝をするのは“御法度”かもしれませんが、ここは“持ちつ持たれつ”ということでご勘弁を)。

 ところで、記事執筆にあたって、図書館で戦中や戦後直後に発行された月刊「優駿」のページをめくっていたら、「競馬放送雑記」という記事が目にとまりました。NHKで競馬実況をされていた飯田次男さんというアナウンサーが1947(昭和22)年8月号に寄せたものです。

 もちろん当時はテレビ放送が始まるはるか前のラジオしかない時代。民放も存在していませんでした。飯田さんはNHKの競馬中継の“大看板”で、ファンや関係者にとっては後の杉本清さんよりも有名だったと思われます。

 その記事の中に、アッと驚く記述がありました。なんと飯田さん、双眼鏡=眼鏡を一切使わずに実況していたというのです。

 飯田さんによれば、「眼鏡ではレースの一部分しか見えない。(中略)しゃべりながら先頭の方と後尾の方と眼鏡を移動していては、いくら慣れても馬場の位置を見うしなうし、また競走ぜんたいの雰囲気が、どうしてもつかめない」とのこと。

「だから放送するときは、眼鏡をもった人に側についていてもらい、馬の出入りのわからないとき、順位のちがったときなど注意してもらうことにしている」のだが、いちいち教わっていたら間に合わない。「やはり馬を見た瞬間、反射的に言葉が出てこないと放送にならない」と書いてありました。

 当時、NHKが中継していたレースはほとんどが馬場を1周以上する“長距離戦”でした。だからこそそういう“芸当”が可能だったのかもしれませんが、ダービーなどは20頭を大きく超える数の馬が出走していたわけでしょう?それを肉眼で判別して喋っていたとは……。

 あっ、そうそう。今、競馬場に行けない私はテレビ画面を見ながら双眼鏡ナシで実況していますけどね(苦笑)。

テレビ東京「ウイニング競馬」の実況を担当するフリーアナウンサー。中央だけでなく、地方、ばんえい、さらに海外にも精通する競馬通。著書には「矢野吉彦の世界競馬案内」など。

バックナンバー

新着コラム

アクセスランキング

注目数ランキング