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詐欺師ついに逮捕

  • 2006年02月28日(火) 23時49分
 昨秋以来、当コラムにて何度も取り上げた、サラブレッドの架空取引を持ちかけては契約不履行を重ねてきた“自称”馬主のK(秋田県在住)がついに先ごろ、逮捕された。

 去る2月22日のこと。Kをマークし身辺を密かに捜査していた秋田中央警察署は、Kが県内仙北市を車で通行しているとの情報が寄せられたため、現場に急行して身柄を取り押えたという。Kは昨年12月頃より所在不明となっていた由で、警察でも行方をつかめずにいたらしい。

 K容疑者は56歳の男性である。自称建設会社経営、らしいが、会社の実態はない。秋田魁新報によれば、K容疑者の今回の逮捕容疑は、秋田市大町の旅行代理店より2005年8月30日から9月20日にかけて、K容疑者が往復航空券(秋田=千歳、秋田=東京)やホテルクーポン券など計52枚、95万円相当を騙し取ったというもの。これらのチケットは、K容疑者が秋田市内に構えていた事務所に届けさせた上、自分で使用したり航空会社窓口などで払い戻しを受けていたという。

 それにしても、日付を精査してみると、ものの見事に昨年K容疑者が北海道に通って来ていた時期と符合するではないか。私たちが確認できただけでも8月31日から9月3日まで、そして9月10日から12日まで、及び9月15日前後の数日、最後に9月23日から25日頃と、わずか1ヶ月足らずの間に計4回は日高に出没している。その際に使われたのが、この旅行代理店からせしめた航空券だったというわけだ。「いったいどうやって北海道へ来る航空券を用立てていたのか」との素朴な疑問がこれで一気に氷解した。

 そして、K容疑者は52枚に及ぶチケットのうち、実際に自身が使用した分はごく一部であり、残りを換金して当座の生活費や北海道での旅費に充てていたことも分かっている。恰幅の良い熟年男性が堂々と店に現れ、いかにもそれっぽく作られた名刺を渡して買い物をし、「うちの会社はOO日締めのOO日支払いだから改めてその時にまとめて振り込む」などと悪びれる様子もなく口にする。それがK容疑者の手口である。相手は「ちょっと怪しい」と感じても、同じ秋田市内ならばよもや悪事は働くまい、と「信用取引」に応じる。一方のK容疑者は、「こいつは脇が甘い」と判断した相手には、怪しまれぬうちに一気呵成に攻め立て、短期間で勝負を決める。件の旅行代理店などは、わずか20日ほどの間にこれだけの被害を出したのだ。その「騙しのテクニック」はほとんど天才的と言っていいかも知れない。

 今後は、K容疑者による詐欺事件の全貌を明らかにし、被害状況をまとめるところからスタートするらしい。

 だが、非公式に漏れ伝わって来るところでは、2月23日の秋田魁新報(県内最大の部数を誇る)にK容疑者の名前が出てから、秋田中央警察署には被害届や問い合わせが殺到しているそうである。県内全域の種々雑多な商人がこの男にモノを騙し取られ代金を貰えずに泣き寝入りして来たのだろうと推測される。同紙の報道では「秋田市内の電気店、薬局などでも同様の手口による数百万円の被害があり、同署では余罪を追及している」とある。果たして被害は数百万程度で収まるものかどうか。

 さて、日高を中心にした牧場の被害は、およそ30軒50頭という数に上る。競走馬の架空取引の場合、契約不履行による実害の算定はかなり難しいのだが、私たちがK容疑者と取り交わした売買契約に記された販売価格と、その後の第三者に当該馬を転売した際の価格との差額が被害金額となるだろう、と解釈できる。期間は人により様々だが、K容疑者との契約に縛られてズルズルと半年以上も他に転売もできずに祈るような気持ちで入金を待っていた生産者もいる。

 「騙された」と気づいた時には、もはや2歳の春になってしまい、いまさらトレーニングセールに上場もできず、ほとんど捨て値で処分せざるを得なかった生産者だっているのだ。改めて、いったいK容疑者という男は何が目的だったのか、という根源的な疑問が湧いて来る。30軒で50頭というのは、半端な数ではない。K容疑者にとっては、代金を支払わなければ、実馬と血統登録書を入手することもできず、結果的に何ら得るところなく終わっているのである。のみならず、売買契約を取り交わした牧場に片っ端から夥しい量の贈答品を秋田より送って来る摩訶不思議な行動を、いったいどう解釈すれば良いものか。

 業務上横領などで被害金額が億に達する事件も珍しくはないご時勢だ。この程度の被害金額(1軒当たり数万円から数十万円程度)では驚くに値しないかも知れない。だが、あまりにも件数が多く、しかも全体像を把握するまではかなりの時間が必要であり、そのもっとも外縁に日高の牧場群が位置している。秋田中央警察署のある刑事が私に「馬の被害についてまとめておいて下さい」と言って来たが「しかし、何せ県内の被害を先に調べなければならないので馬のところまで行き着くにはまだかなり時間がかかると思う」と苦々しそうに呟いていたのが耳に残っている。いずれにしても、取調べは始まったばかりなのだ。

 ところで、今回の件(かどうかは不明だが)で、すでにK容疑者は地方競馬全国協会の馬主名義を剥奪されたという。馬主稼業どころか、おそらくは生活にも困窮するがあまり手当たり次第に詐欺行為を繰り返していたのだろうし、その意味では、やや遅きに失した感さえある。かくして、この稀代のイカサマ男は、日高の各地で秋田県人のイメージを完全に失墜させた挙句、ついに「塀の中の人」となったわけである。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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