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週刊サラブレッド・レーシング・ポスト

  • 2001年09月12日(水) 00時00分
 競馬を見ていて、久しぶりにしびれるような感覚を味わった。8日(土曜日)にレパーズタウン競馬場で行なわれた愛チャンピオンSで見られた、スーパーホース2頭による火の出るような叩き合いは、それほどスリリングなものであった。

 ガリレオ対ファンタスティックライトのRound#2として行なわれたこのレース。Round#1のキングジョージより距離が2ハロン短くなり、なおかつ、前走12ポンドあった斤量差が7ポンドに縮まり、キングジョージで2馬身差あった2頭の差がどうなるか。3歳のガリレオが更に成長してその差を広げるのか、前走よりは距離・斤量ともに有利になったファンタスティックライトが接近するのか、あるいは、逆転なるのか。世界中の競馬関係者とファンが注目したと言っても、過言ではない。

 ゲートが開いてまもなく、戦いはいきなり緊迫した場面を迎えた。2頭の位置取りが、前走と逆になったのだ。ガリレオが前にいて、先に仕掛けたのもガリレオ。直線でファンタスティックライトが追い込んだものの、並んだ段階で再びガリレオが突き放したのが、キングジョージだった。

 ところがここでは、2頭のラビットを前にして、3番手がファンタスティックライト。これを見る形で、4番手ガリレオとなったのだ。レース後に判明したことだが、これはシェイク・モハメド殿下が、フランキー・デットーリに指示した作戦だったという。ファンタスティックライトの武器は、瞬発力である。ゴール前で出し抜けを食らわすことが、ファンタスティックライトがガリレオを破る、唯一の展開と指摘する人が多かった中、全く逆の指示がオーナーサイドから出ていたことになる。

 結果的に、この作戦が図にあたった。レース後、エイダン・オブライエン調教師は、自分のリズムで走れなかったことがガリレオの敗因と指摘している。また、先に行っていたファンタスティックライトが、埒沿いの絶好のコース取りが出来たのに対し、ガリレオはラビットを追い抜く時、外に出さざるを得なくなった。最終的には頭差の勝負となっただけに、そうしたわずかなコース取りの差が、致命傷となったようである。

 レース後、シェイク・モハメド殿下から、ファンタスティックライトの次走は、ブリーダーズCクラシックという発表があった。ドバイで調教されている時、ファンタスティックライトはダートで非常に鋭い動きを見せていたという。適性については、確信をもっての参戦表明である。

 一方のガリレオ陣営もまた、当初からあった、ブリーダーズCクラシック参戦プランに、変更なしと伝えられている。

 ガリレオ対ファンタスティックライトRound#3の舞台は、ダート10ハロン。芝12ハロンでガリレオが勝ち、芝10ハロンでファンタスティックライトが勝った2頭の勝負に、遂に決着が付く。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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