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【43年を振り返って】再就職した小桧山悟元調教師 競馬界を支える“オンリーワン”な存在

  • 2024年04月16日(火) 12時01分
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▲小桧山悟元調教師の現在とこれまでに迫る(撮影:下野雄規)


今年、多くの人に惜しまれながら定年引退を迎えた小桧山悟元調教師。スマイルジャックなどの活躍馬だけでなく、原優介騎手・小手川準調教師など人を育てたことでも知られました。

今回netkeibaでは引退後の生活と、「人に恵まれた」と振り返るホースマン人生についてのインタビューを実施。若手へのチャンスの与え方や自称「武豊教」である理由、競馬の奥深さなど...数々のエピソードとともに唯一無二の生き方を語っていただきました。

(取材・構成:島田明宏)

引退と同時に再就職 70歳になっても「もっと勉強」


 小桧山悟氏が今年3月5日付で調教師を引退してからひと月ほどになる。

 美浦・畠山重則厩舎の調教助手になったのは27歳だった1981年。42歳だった1996年に厩舎を開業し、引退までJRA通算7330戦218勝(うち重賞5勝)という成績をおさめた。そのほか地方で74勝をマークしている。

  調教師生活は28年に及んだ。助手時代から通算すると43年も「トレセン生活」を送ったことになる。引退後も、早寝早起きの生活をつづけているのだろうか。

「今でも午後7時半には寝ています。油断してると6時ぐらいに寝てしまうこともありますよ(笑)。で、毎日、午前2時ごろには起きています」

 現役時代ならともかく、世間が寝静まっているその時間に起きても、することがないのではないか。

「いや、『週刊ギャロップ』の連載原稿を書いたり、部屋を片づけたりしています。それと、実は、引退と同時に再就職して、毎日通勤しているんです。知り合いの牧場の顧問になりました。

 特に縛りはなく、来なくても顧問料を出すと言われているんですけど、毎朝4時半には家を出て通っています。片道50kmほどなので、車で1時間くらいですね。非常に優秀な場長がいるので、自分はナンバー2という立場です」

 その仕事の関係で、今月15日からはアメリカ、翌週は北海道、そのあとはアイルランドに行く予定だという。引退と同時に緊張の糸が切れ、気が抜けてしまっているのではないかと心配していたのだが、調教師時代と同じくらいか、それ以上に充実しているようだ。

「すごく面白いですよ。馬の最初の一歩から関わらせてくれるんです。1歳の馴致、育成から立ち会えるので、調教師のときとは角度の違う接し方ができる。70歳になって、前以上に様々な情報をキャッチするためにアンテナを立てて、ネットを張っています。もっと勉強して、賢くならないといけない。ムダな時間を過ごさないようにしています」

 調教メニューを組み立てたり、速い調教をやったらVTRを見てチェックしたりと「前しか見ない仕事」だという。

「調教師じゃないから気楽です。まず、金銭面で心配しなくていい。それに、含みのある会話をしなくてもよくなった。ごまかすような言い方ではなく、スバリ、休ませたほうがいいですよ、とか言えますしね」

若手騎手にチャンスを与えるために


 小桧山氏は、自厩舎に所属していた青木孝文、小手川準、堀内岳志の3人が調教師となったほか、高野和馬、山田敬士、原優介、佐藤翔馬といった騎手(元騎手も)を育てたことでも知られている。

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▲GIでも存在感をみせる原優介騎手(撮影:下野雄規)



「能力のある人がたまたま俺の厩舎に来て、自分で育っていっただけです。調教師になった3人とも、『本当になってよかったです』と言っています。なったのは彼らの才能であって、俺は邪魔を全部取り除いてやっただけです」

 3月30日のドバイワールドカップには小手川厩舎のウィルソンテソーロが原騎手の手綱で臨み、4着と健闘した。

「小手川に誘われて、行く気になっていたんですけど

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