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【親子対談】「父の競馬を熱心に見続けた少年時代」坂井英光騎手×坂井瑠星騎手×矢作芳人調教師(前編)

  • 2017年12月08日(金) 18時01分
スペシャル対談

▲左から坂井瑠星騎手、矢作芳人調教師、坂井英光騎手


地方競馬の関係者と中央競馬の関係者によるスペシャル対談。第1弾は坂井英光騎手(大井)と坂井瑠星騎手(JRA)が登場。なんと今回、初めて坂井親子対談が実現しました! さらに瑠星騎手の師匠で、実父が大井の元調教師という矢作芳人調教師(JRA)も参戦。「大井」という絆でつながっている3人。まずは、英光騎手と矢作師の出会い、瑠星騎手を矢作師が預かることになった経緯を探っていきます。(取材・文:赤見千尋)


“故郷”大井の思い出と恩返し


――矢作先生はお父様が大井で調教師をされていたということで、大井競馬場とは縁が深いそうですね。

矢作 僕にとっては故郷です。小学校を卒業するまで厩舎に住んでいたので、内馬場が遊び場でした。スタンドの方で自転車に乗って競走したりして。その後大人になって、オーストラリアに行ってJRAに入るまで、1年半ほど大井で厩務員をしていたんです。その時代はナイター開催が始まる直前で、まさにドン底。賞金、売り上げ、一番悪い時を経験しました。英光はさすがにまだデビューしてない頃だったけど。一緒に働いたのは、英光のちょっと上の世代までかな。

英光 そうですね。僕がデビューした頃には、矢作先生はすでに栗東で助手をされていました。

矢作 それでも、親父がまだ現役の調教師だったから英光に乗ってもらう機会もあったし、そういうことで接点はありましたね。彼がいなかったら瑠星がうちに来ることもなかったですから。

――瑠星騎手も幼い頃から大井競馬場に来ていたそうですね。

瑠星 幼稚園の頃からよく見に来ていました。妹は小さかったので競馬場に行ってもつまらないって嫌がっていたんですけど(笑)、一人で留守番できる年齢じゃなかったし、「内馬場で遊んであげるから」って無理矢理連れて行って。

矢作 やっぱり内馬場が遊び場なんだ(笑)。

瑠星 先生と一緒だったんですね! 本当によく行きましたし、テレビでもずっと競馬を見ていました。

英光 幼稚園の頃から「また的場が勝った的場が勝った」ってよく言ってたよ(笑)。

瑠星 言ってた。あと「また戸崎さんだよ」って(笑)。昔は親父に対しても「なんでこう乗らないんだよ」って思ってて。

スペシャル対談

▲瑠星「“また的場さんが勝った、また戸崎さんだよ、なんでこう乗らないんだよ”って」


英光 (苦笑)。本当に熱心に見てたもんな。

瑠星 でも実際デビューして競馬に乗ってみたら、「そんな簡単にできないな」って。それだけすごいことをしていたんだなって思うし、競馬は本当に難しいです。

――お父さんに憧れて、騎手を目指したんですか?

瑠星 そうです。今は騎手として同じ職業ですけど、まだ同じ舞台に立てたとは思ってないですね。騎手としては遠い存在で、いつかは肩を並べ、そしていつか越えたいです。

英光 自分も子供の頃にJRAを目指していて叶わなかったから、瑠星が競馬学校に合格した時は嬉しかったな。

瑠星 勝手に合格通知を開けたんですよ。開けないでって言っていたのに…。

英光 そうだっけ? 俺覚えてないけど(笑)。

瑠星 僕が乗馬に行ってて、「合格したよ」ってメールが送られてきて。もしも受かってなかったらどうするつもりだったんだろうって思いました。

英光 ごめん、全然覚えてない(笑)。

スペシャル対談

▲英光「勝手に合格通知を開けたこと、全然覚えてない」


――大井で育った矢作先生が、同じく大井で育った瑠星騎手を育てるというのも深いご縁ですね。

矢作 それは意識してました。故郷と思っているのは口だけではないし、ここの競馬場が僕を育ててくれたので。幼少期だけではなくて、栗東に行く前の厩務員時代も含めて、すごくいい経験をさせてもらいましたから。縁があって瑠星を預かることになったからには、責任を持って面倒みようと思っています。英光にも、「もう俺が親父だから」と言っていて。

英光 矢作先生には感謝しかないですね。そこまで言ってくれる先生はなかなかいないですから。

瑠星 本当にありがたいです。

英光 瑠星が競馬学校に受かった時、まず関東関西を考えて、自分から離した方がいいという気持ちもあってできれば関西にと思いました。それに、先生の本を読ませていただいたこともあったし、何度か騎乗させてもらったこともあって、人柄や競馬に対する考え方も尊敬していて。矢作厩舎に所属できたらと思ってすぐにご挨拶したんです。

 先生、覚えてないかもしれないですけど、JRAで初めて乗せてもらった時に、人づたいに指導されたというか、注意されたんですよ。レース前に電話もなく聞きもしなかったって。そういう意味でも厳しい方だし、厳しい環境に置きたいというのが一番でした。

矢作 そうだ、思い出した! だってカペラSでタイセイレジェンドに乗せてるのにさ、それで何も言ってこないんだから!

英光 その節は本当にすみませんでした。

矢作 でもその時人気薄で3着に来てくれて。しかも、「タイセイレジェンドは短距離のダートがいい」って言ってくれて、それでJBCスプリントを勝つまでになった。今考えるとそこからだったんだよな。

――矢作先生にとっては、デビューからの所属というのは初めてになりますね。

矢作 前は小林慎一郎がデビューからではないけど所属でいたので、彼の面倒を見なければいけないから、中途半端はしたくなかった。でも慎一郎が引退して、責任を持って面倒を見られる環境が整ったタイミングだったんです。人を育てるのは恩返しですから、そろそろ弟子を育てないといけないなと思っていて。

スペシャル対談

▲矢作「人を育てるのは恩返しですから、そろそろ弟子を育てたいって」


瑠星 僕は所属が決まった時、もちろん矢作厩舎は有名で知っていましたし、厳しい方だと聞いていたので、「よしがんばろう!」という気持ちで行きましたけど、実際厳しかったです(苦笑)。

矢作 めちゃくちゃ甘いと思うんだけど(笑)。

瑠星 いや〜、厳しいです(苦笑)。

矢作 最初の頃、瑠星は宇宙人なのかなと思った(笑)。世代間ギャップというか、俺も年を取ったんだなと思って(笑)。一番下の息子が22歳だから、2つくらいしか変わらないけど、ちょっと感覚が違うなと。世代とかではなくて瑠星の感覚なのかもしれないけど、芯が太いよね。厳しい厳しいって言うけど、怒られてもシュンとしないから(笑)。

瑠星 僕としてはシュンとしていると思うんですけど…。

矢作 応えてないな、コイツって思う。厩務員とかうちのスタッフを怒鳴ることはまずないけど、瑠星のことだけは怒鳴りまくってて、でもシュンとしないから。

瑠星 本来自分がちゃんとしていれば怒鳴られることはないですし、まだまだ未熟だなと。本当にいい環境にいさせてもらっているので、もっともっとがんばります!

(文中敬称略、後編へつづく)
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