「
日本ダービー・G1」(29日、東京)
出走馬、枠順が26日に確定した。勝負駆けの
京都新聞杯で2着。松山の気迫あふれる騎乗が
アグネスフォルテに伝わり、首の皮一枚のところで出走権を手にした。来年2月で定年を迎える長浜師が、ラストダービーに向けて思いを口にする。「前々走の
はなみずき賞(5着)は、直線で前が狭くなって競馬にならず。レース後、松山君には“何もせんで負けたな”と言ったんですよ。彼も期するものがあったのでしょうね。私も運がいいというか、定年前にまたチャンスを頂きました」。
初挑戦となった開業翌年の89年(
ニシノサムタイム21着)から11年後。盟友・
河内洋とともに挑んだ00年、ついに
アグネスフライトで頂点を極める。「あれだけのジョッキーだから勝たせてあげたかった。洋にとっては年齢的(当時45歳)にも最後のチャンス。“お前のダービーだから好きに乗ってこい!”と送り出した」。
武豊&
エアシャカールとの死闘を制しての“鼻差V”は感動を呼んだ。
悔やみ切れない思いをしたのもダービーだった。01年に無敗で
皐月賞を制した
アグネスタキオンは、レース直前に左前浅屈腱炎を発症。「“三冠を獲れる”と感じた馬だった。ゆったりとしたローテを組んで、脚元もずっと気にかけていたが…。あれが競馬の難しさかな」。その後、10年
菊花賞(
ビッグウィーク)を制して三冠トレーナーとなったが、今でも当時を思い起こして唇をかむ。
泣いても笑っても、これが最後。「勝つのは簡単ではないが、競馬に絶対はないから。若い松山君にとってはいい経験になると思う。まあ、ウチの馬が最高の競馬をしてくれたらそれでいい」。穏やかな表情で将来性豊かな若武者に託した。
提供:デイリースポーツ