92年
皐月賞、ダービーを制した
ミホノブルボンが、22日に老衰のために死亡したことが24日、分かった。28歳だった。12年の種牡馬引退後は北海道日高町の
スマイルファームで余生を過ごしたが、21日朝から立てなくなり、22日の午後6時過ぎに息を引き取った。
同ファームの中村広樹代表(36)は「とにかくファンの多い馬でした。競馬ブーム最盛期の頃のダービー馬というのもあったんでしょうね。病気もなく元気に過ごしていて、獣医にかかるようなこともなかったんですが…」と在りし日を振り返った。
同馬は89年4月に父マグニテユード、
母カツミエコー(母の父シヤレー)の間に産まれた栗毛馬。91年9月に栗東・戸山為夫厩舎からデビューした。当時、完成したばかりの坂路での“4本追い”などハードに鍛え上げられ、「坂路の申し子」という異名を取った。
無傷3連勝で朝日杯3歳S(現
朝日杯FS)を制覇。翌年も自慢のスピードを生かし、
皐月賞、ダービーを逃げ切った。無敗での牡馬クラシック三冠に挑んだ
菊花賞で、
ライスシャワーの2着に惜敗。その後は度重なる故障で、94年1月に通算8戦7勝で現役を引退。種牡馬入りしたが、JRAで重賞勝ち馬を輩出することはできなかった。
提供:デイリースポーツ