近2年は1番人気が制しているが、荒れるレースとしても知られるのが
菊花賞である。平成に入ってから5番人気以下が勝利した8回は、すべて2000(平成12)年以降。今週は「平成乱菊列伝」と題して、波乱の決着を振り返る。今回は最も人気薄での勝利となった、2002年の
ヒシミラクルをお届けする。
■スタミナを活かしたロングスパートで下剋上達成
2歳夏の小倉でデビューしたものの、未勝利を勝ったのは3歳春の中京戦。その日、東京競馬場では
タニノギムレットがダービー馬に輝いていた。10戦目にしてようやく未勝利を脱出した
ヒシミラクルだったが、その後は500万下を2戦、1000万下も3戦で卒業する。しかもこの間の5戦は、すべて馬券圏内という充実ぶりだった。
1000万下の
野分特別を勝利して次に選ばれたのは、
菊花賞トライアルの
神戸新聞杯だった。そこには、
皐月賞馬
ノーリーズン、ダービー2着馬
シンボリクリスエス、
宝塚記念3着馬
ローエングリンといった、同世代の一線級が集っていた。7番人気で出走した重賞初挑戦の結果は、勝った
シンボリクリスエスから1.3秒差の6着。
菊花賞の優先出走権を手にすることはできなかったが、陣営は諦めなかった。追加登録料を払い、8分の3という抽選を突破し本番への出走が叶うのである。
菊花賞は、スタート直後に1番人気
ノーリーズンが落馬。突然のアク
シデントに、京都競馬場は詰めかけた6万5000人のファンの大きなどよめきに包まれた。騒然とした空気が広がるなか、
ローエングリンが飛ばし、前半1000mは58.3秒。
ヒシミラクルは後方3〜4番手を追走する。中盤、ペースが緩むと3コーナー手前から
ヒシミラクルが進出を開始。外から徐々に位置を上げ先頭集団に並びかけると、直線を向いて先頭に立つ。その直線では内で粘る
メガスターダムを振り切ると、最後に急追した
ファストタテヤマをハナ差退けゴール。キャリア17戦目で、初重賞制覇がGIとなった。
ヒシミラクルが10番人気なら、2着した
ファストタテヤマも16番人気だった。馬連は当時のクラシック史上最高額である9万6070円、この年の夏に発売開始された3連複も34万4630円という波乱で幕を閉じた。
角田騎手は
野分特別の前に「ここ(
野分特別)を勝てば
菊花賞は獲れる」と、
ヒシミラクルを評していたという。
菊花賞は、
タニノギムレットの戦線離脱、
シンボリクリスエスの
天皇賞・秋参戦による回避で有力馬が不在、そして
ノーリーズンの落馬も重なった。とはいえ、
ヒシミラクルの可能性と豊富なスタミナを信じた陣営と騎手の執念が、勝利へと導いたことも事実なのである。