スマートフォン版へ

『よく長生きしてくれました』名脇役カミノクレッセ、27歳で死す

  • 2014年07月11日(金) 10時30分
 GI勝ちこそなかったが、1992年の天皇賞・春安田記念宝塚記念とGI3連続2着など、名脇役としてターフを賑わせたカミノクレッセが、7月8日の朝、生まれ故郷の北海道浦河町・昭和牧場で亡くなった。27歳だった。

 重賞勝ちは、1991年の交流重賞のブリーダーズゴールドCと1992年の日経新春杯(GII)がある。

「短距離から長距離、芝・ダート問わずに活躍してくれました。ブリーダーズゴールドCの時は、日高軽種馬農協関係の方たちがバスを2台仕立てて、札幌競馬場まで応援に行ってくれたたんですよね。優勝したので大喜びで帰ってきて、みんなで明け方まで大騒ぎしたのが昨日のことのように思い出されます。

今はショウワロマンの2014というように、繁殖牝馬の名前に生まれた年をつけて仔馬を呼んでいますが、クレッセの頃は幼名がありました。その年はタカラシリーズにしようということで、クレッセは“ユメタカラ”という名前でした。正にその名前の通りの活躍をしてくれて、牧場の宝のような存在になりました。

種牡馬を引退してウチに戻ってきてからも、毎年会いに来てくださるファンがいました。馬券で儲けさせてもらったからと、人参を買って届けてくださった方もいます。クレッセのお蔭で、嬉しいことがたくさんありましたね。

脚は少し悪かったですが、元気に過ごしていました。亡くなった7月8日もいつも通り放牧に出たのですが、倒れているところを発見されました。寿命だったのかなと思います。寂しいですけれど、27歳までよく長生きしてくれました。大往生でしたね」

 昭和牧場の鎌田朋子さんは、クレッセの思い出と現在の心境を語った。

 名脇役がいてこそヒーローは際立ち、競馬は盛り上がる。それだけにカミノクレッセの存在は、競馬ファンの心の中に深く刻まれているはずだ。そんな名脇役が去った寂しさはあるが、生まれた牧場の放牧地で天に召されたカミノクレッセは、実はこの上なく幸せな馬だった。鎌田さんの話に耳を傾けているうちに、そのような思いになっていた。

(取材:佐々木祥恵)

いま読まれています

みんなのコメント

ニュースコメントを表示するには、『コメント非表示』のチェックを外してください。

ミュート・コメント非表示の使い方
  • 非表示をクリックし「このユーザーの投稿を常に表示しない」を選択することで特定のユーザーのコメントを非表示にすることができます。(ミュート機能)
  • ※ミュート機能により非表示となった投稿は完全に見えなくなります。このため表示件数が少なく表示される場合がございますのでご了承ください。なお、非表示にしたユーザーはマイページからご確認いただけます。
  • 『コメント非表示』にチェックを入れると、すべてのニュース記事においてコメント欄が非表示となります。
  • ※チェックを外すと再びコメント欄を見ることができます。
    ※ブラウザを切り替えた際に設定が引き継がれない場合がございます。

アクセスランキング

注目数ランキング

ニュースを探す

キーワードから探す