GI勝ちこそなかったが、1992年の
天皇賞・春、
安田記念、
宝塚記念とGI3連続2着など、名脇役としてターフを賑わせた
カミノクレッセが、7月8日の朝、生まれ故郷の北海道浦河町・昭和牧場で亡くなった。27歳だった。
重賞勝ちは、1991年の交流重賞の
ブリーダーズゴールドCと1992年の
日経新春杯(GII)がある。
「短距離から長距離、芝・ダート問わずに活躍してくれました。
ブリーダーズゴールドCの時は、日高軽種馬農協関係の方たちがバスを2台仕立てて、札幌競馬場まで応援に行ってくれたたんですよね。優勝したので大喜びで帰ってきて、みんなで明け方まで大騒ぎしたのが昨日のことのように思い出されます。
今は
ショウワロマンの2014というように、繁殖牝馬の名前に生まれた年をつけて仔馬を呼んでいますが、クレッセの頃は幼名がありました。その年はタカラシリーズにしようということで、クレッセは“ユメタカラ”という名前でした。正にその名前の通りの活躍をしてくれて、牧場の宝のような存在になりました。
種牡馬を引退してウチに戻ってきてからも、毎年会いに来てくださるファンがいました。馬券で儲けさせてもらったからと、人参を買って届けてくださった方もいます。クレッセのお蔭で、嬉しいことがたくさんありましたね。
脚は少し悪かったですが、元気に過ごしていました。亡くなった7月8日もいつも通り放牧に出たのですが、倒れているところを発見されました。寿命だったのかなと思います。寂しいですけれど、27歳までよく長生きしてくれました。大往生でしたね」
昭和牧場の鎌田朋子さんは、クレッセの思い出と現在の心境を語った。
名脇役がいてこそヒーローは際立ち、競馬は盛り上がる。それだけに
カミノクレッセの存在は、競馬ファンの心の中に深く刻まれているはずだ。そんな名脇役が去った寂しさはあるが、生まれた牧場の放牧地で天に召された
カミノクレッセは、実はこの上なく幸せな馬だった。鎌田さんの話に耳を傾けているうちに、そのような思いになっていた。
(取材:佐々木祥恵)