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シスタートウショウは「最後まで気位が高かった」

  • 2015年03月04日(水) 20時15分
 1991年の桜花賞馬・シスタートウショウ(牝)が、3月3日、北海道新ひだか町のトウショウ牧場で亡くなった。27歳だった。

桜花賞も思い出に残っていますが、ハナ差で2着に敗れたオークスも悔しかったですねえ。そういう意味では思い出に残っています」とトウショウ牧場の場長・志村吉男さんは、現役時代を振り返った。

 シスタートウショウが生まれた当時、トウショウ牧場にいた繁殖牝馬の多くがトウショウボーイの母・ソシアルバターフライの血を引いていた。そのためトウショウボーイを種付けできる牝馬は限られていたのだ。その中でコーニストウショウ(シスタートウショウの母)はシラオキの牝系で、トウショウボーイを配合することが可能だった。「トウショウボーイの産駒で、大きなレースは勝てないかなとも思っていました。だから余計に、(トウショウボーイの子で)GIを勝てたのが嬉しかったですね」(志村場長)

 牧場に嬉しいGI勝利をプレゼントしたシスタートウショウだが、幼い頃は特別期待された存在ではなかったという。「トウショウボーイの父はテスコボーイですが、この2頭の血を引く馬は、遺伝的に腰が甘いんですよ。シスタートウショウも腰が甘くて、今の2歳、昔で言えば3歳の頃に電気針で治療をしていました。正直、クラシックを勝つような馬になるとは思いませんでしたが、それがあれよあれよという間に走ってくれて、成績を残してくれました」(志村場長)

 競走馬を引退した後は、生まれ故郷のトウショウ牧場に戻って、繁殖生活に入った。「トウショウパワーズ(父ダンスインザダーク)がオープン馬になってくれましたが、なかなか子供たちが走ってくれなくて、もどかしさはありましたね。名門シラオキの牝系ですし、その点は残念でした」(志村場長)

 たとえ産駒が期待ほどの成績が残せなくても、シスタートウショウはたくさんのファンに愛されていた。「夏の見学期間にいらっしゃった方に玄関で記帳して頂くのですが、見学希望馬としてシスタートウショウの名前を書く方が多いんですよ。この馬の現役時代を知らないのではないかという世代の方もいますね」(志村場長)。栗毛の美しい馬体と、最後方からレースを進め、逃げ粘るイソノルーブルをゴール前ハナ差まで追い詰めたオークスでの末脚が、ファンの心をとらえて離さないのではないかとも想像する。

 だが生まれつきの腰の甘さは、繁殖生活でも常につきまとっていたようだ。「身重になると60キロくらいの子がお腹にいますから、腰に負担がかかりますからね。繁殖を引退してからは、その後は功労馬として過ごしてきました。牧場には坂が多くて、腰が悪いこの馬は常に平らな場所に放牧していました」(志村場長)

 志村場長はじめ、牧場スタッフの手厚いケアのもと、余生を送っていたシスタートウショウだったが、3月2日の夜に起立不能となり、翌日息を引き取ったのだった。 「死ぬ2、3日前までは、近寄ると耳を背負って気の強いところを見せていました。最後まで気位が高かったですね」(志村場長)。トウショウ牧場で唯一、トウショウボーイの産駒としてGIに勝利したシスタートウショウがいなくなり、志村場長の声には寂しさが入り混じっているように聞こえた。

 気高さを失わずにこの世を去った名牝の冥福を祈りたい。(取材・文:佐々木祥恵)

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