競馬を見ていて泣きそうになったのは、久し振りのことだった。それくらい、UAE1000ギニー(2月6日、ナドアルシバ競馬場)におけるアースリヴィングは、良く頑張った。
11月に兵庫ジュニアグランプリに参戦した時、初めて訪れた園田の出張馬房でも、まるで「我が家」のように振る舞うという図太さを見せたアースリヴィングだったが、中東への旅はさすがに堪えたようだ。米国からの輸入馬だけに、飛行機輸送そのものはさほど大きなハードルではなかったようだが、出国検疫のため滞在した栗東で、まずは環境の変化に戸惑い心身ともに消耗し、ようやく慣れたと思ったら再び移動で、ドバイという新たな環境への対応を迫られたのだ。図太いとは言え、そこは3歳になったばかりの女の子である。現地到着後しばらくは飼い食いが細り、減った体が戻らない状態にあったそうだ。
このあたり、検疫機関を過ごす白井で新たな環境に戸惑い、ようやく慣れたと思ったら、また移動で東京競馬場の環境への順応を迫られるJC出走外国馬の関係者から「2度の輸送は厳しい。成田から直接東京競馬場に入れれば、どれだけ楽かわからない」との声がしきりに聞こえることと、内実は同じである。
飼葉の中身を変えたり、飼葉桶を吊るす場所を変えたりという、緻密にして的確な対応がとられたおかげでようやく飼食いが戻り、それに伴い調教メニューも強化されたのは、レースの5日程前からのことで、状態としてはようやく上昇曲線を描きはじめた矢先に迎えたのがUAE1000ギニーであった。
しかも彼女にとって、午後10時15分というほとんど深夜といってよい時間帯の競馬は、言うまでもなく初めて。照明が煌々と照らされた中で周回するパドックも初体験で、これも障害にならねば良いがと危惧されたのだが、ここでアースリヴィングは持ち前の図太さを発揮。威風堂々とパドックを回る姿を見て、管理する小笠調教師も「この落ち着きぶりは、普通なら考えられない」と、舌を巻くほどであった。
チリのG1勝ち馬や、アメリカのG1・3着馬、前哨戦となった1月15日のネイエフフィリーズ上位馬らを退けての2着は、日本馬の海外遠征史に残る好走であったことは間違いない。
それでも、手綱をとったルメール騎手は、レース後開口一番「馬がまだ幼いよね」とコメント。レースビデオで確認すると、大外枠からスタートしたアースリヴィングは、内にいる馬群を見ながら終始外に逃げる仕草をしており、競馬に集中していたとは言い難いレース振りであった。それでも、最終コーナー手前から先行馬群にいた有力馬が動き出すと、離されることなく追走。直線に向かうと馬場の外目をじりじりと進出し、ライバルたちの足が上がってくる中、「手前を替えたら、また伸びてくれた」(ルメール談)アースリヴィング。半年生まれの早い南半球勢に後れをとるならともなく、同斤の北半球馬には負けられないとばかり、最後は根性でパープルセージを交わして2着の座を確保した。
物見をして思いがけず後方からの競馬になった中、道中のペースはスロー。しかも、追い込みはききづらいというのが定評のナドアルシバでこの競馬が出来たのは、大きな収穫と言えよう。
次走は3週間後の2月26日に行われるUAEオークス(準重賞・ダート1800m)の予定。ルメール騎手も「距離の延長は全く問題ないと思う」と請け負ってくれただけに、今後さらに状態がアップすれば、必ずや好レースを見せてくれるはずだ。
長期滞在になっている厩舎スタッフの皆様の健康も含めて、全てが良い方向に進んでくれることを望んでやまない。
最後に、昨年の3月以来10か月半振りに訪れたドバイの様子を記すと、表面上は相変わらず活気に満ちた街であった。メインストリートの交通渋滞はラッシュアワーになると相変わらず激しく、タクシーがつかまりづらい状況にも変わりはなかった。
ワールドC当日以外の開催日にナドアルシバに出かけたのは8年ぶりだったが、当時と比べると観客の数は比較にならぬほど多く、つまりは市民には、娯楽を楽しむ余裕が充分にあることが見てとれた。
街中には確かに、建設が途中でストップしたと思しきビルディングも散見されたが、2010年オープン予定の新競馬場メイダンの巨大なスタンドは、外観がほぼ完成。新競馬場へのアクセスとなるモノレールも、軌道・駅ともにほぼ出来上がっており、少なくとも競馬に関しては、今年も来年も何の支障もなく施行されることになろう。
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