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OBSフェブラリーセール、売上げダウン

  • 2009年02月24日(火) 23時59分
 今シーズンの2歳トレーニングセール・サーキットの幕開けとなるOBSフェブラリーセールが、2月17日(日本時間2月18日)にアメリカのフロリダ州オカラで開催された。

 世界的な経済危機の中、競走馬市場も例外ではなく、世界各国で開催される主要市場は昨年秋ごろから軒並み3割から5割の売り上げ減という、極めて厳しい結果に終わっている。しかし逆の見方をすれば、2歳市場の販売者であるピンフッカーたちの中には、これはと目をつけた好素材を近年にない廉価で仕入れた者たちもいるはずで、果たしてそれが市場にどんなエッセンスをもたらすのか、開始前の会場には様々な立場にある人たちによる様々な思惑が錯綜していた。

 なおかつ、今年のOBSフェブラリーは、前年に比べてカタログ記載馬が38頭も増加。パーセンテージにして16%もカタログが大きくなった。OBSフェブラリーの舞台となったオカラは、多くのコンサイナーが調教施設を構えている本拠地である。コストを考えると、ここで売るのが最も費用がかからずに済むため、遠隔地で行われる市場で売るのをやめたコンサイナーが多かったことが、上場馬増加につながったのだ。これを、これまでだったらカリフォルニアやケンタッキーに出ていた好素材が今年はここに廻ってきたと読むか、遠隔地から撤退したのは売る自信がないからで、従ってたいした素材は廻ってきていないと見るか、見方は購買者によってまちまちであった。

 そんな中で行われた市場の結果は、やはり相当に厳しいものであった。総売り上げが、前年比29.3%ダウンの992万ドル。このセールにおける総売り上げが1000万ドルの大台を割ったのは、1996年以来13年ぶりのことだった。

 更に、平均価格が前年比33.7%ダウンの104,481ドル、中間価格が前年比28.0%ダウンの90,000ドル、昨年28.2%だったバイバックレートが今年は38.3%と、全ての指標が大きな下落となった。深刻な数字が並ぶ中、殊にバイバックレートの38.3%は、2歳市場がメジャーなマーケットとして市民権を得た90年以降では、セール史上で最悪の数字となった。

 一方で、昨年48頭だった欠場馬が今年は46頭と、カタログが大きくなったにも関らず欠場馬は減少した。昨年秋以降に欧米で開催されたブリーディングストックセールが、「どうせ出しても売れない」と判断する販売者が多くて欠場続出だったのに比べると、いくらかバイヤー・フレンドリーだったと言えよう。ここでの上場馬は既に2歳の春を迎えた馬たちで、手元に残っても販売者は困るばかりだから、多少損をしてでも売りたいと考えた販売者が多かったのであろう。

 しかして、昨年以降のブリーディングストックセールでは市場が低迷したにも関わらず、欠場が多かった影響で主取り率が下がるという歪(いびつ)な市況が見られたが、ここでは市場低迷の流れをそのまま受ける形で、主取り率も上昇することになったわけだ。

 最高価格となったのは、上場番号107番の父グレイムホールの牝馬。公開調教で、1f=10秒フラットをマークしていた馬で、ウェストポイント・サラブレッズが34万ドルで購買した。

 今年のこのセールでは、4日前の13日に一度だけ行われた公開調教では、1f=9.6秒をマークした馬が3頭も出現、10秒フラットと言っても、全体では22番目という時計だった。すなわち、追い切りの動きだけが買われて最高価格となったわけではなく、厩舎村で評判となっていたバランスの良い好馬体も、購買者による高評価の要因となったようだ。

 ただし、最高価格が34万ドルというのは、このセールとしては1997年以来の低水準。「未曽有」とまでは言えぬまでも、北米の競走馬市場が近年にない危機的状況にあることが明確に見てとれる結果と言えそうだ。

 逆に言えば、購買者にとっては近年になく買いやすいマーケットが展開されているのだ。ましてや円高基調にある今、日本人購買者にとっては外国産馬を仕入れるまたとないチャンスなはずだ。残念ながらOBSフェブラリーにおける日本人購買はゼロだったが、今後予定される「ファシグティプトン・コールダー(3月3日)」、「バレッツ・マーチ(3月10日)」、「タタソールズ・ブリーズアップ(4月15・16日)」といった市場での、日本人購買者の健闘に期待したい。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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