先週のヴィクトリアマイルでも、またまたブラボーデイジーという「車名馬」が連がらみを果たしました。ここまで来るとまさに“神懸かり”。今週のオークスは、ブエナビスタで決まりでしょうか?(スズキに「スイフト・ディザイア」という車があるそうで、レッドディザイアも怖いですが)
さて、5週連続でGIレースが開催されている東京競馬場。その最寄り駅と言えば、京王電鉄の府中競馬正門前とJR南武線・武蔵野線の府中本町(ふちゅうほんまち。ふちゅうほんちょう、と読む人がいますが、それは間違い)ですよね。では、その昔、東京競馬場前という駅があったのをご存知ですか?
「YAHOO!JAPAN・地図」でも「Google・Maps」でもいいですから、「府中市矢崎町1丁目」と入力して検索してみてください。矢崎町の防災公園の北側から西のほうに、90度方向を変えてカーブする道がありますね。それが、線路の跡。東京競馬場前駅は、防災公園と府中ビレジというマンションに挟まれたところに、南武線の線路に突き当たる形であったんです。
地図を見ると、駅から競馬場までは、南武線の線路をくぐってまっすぐ行けるようになっています。競馬場には、府中本町から行くより、こちらから行ったほうが若干近かったはずです。
この駅からは、JR国分寺駅へ線路が延びていました。先ほどの地図で、線路の跡をたどってみましょう。東京競馬場前駅を出て右にカーブし、北に方向を変えたあたりで、南から伸びるまっすぐな道と合流します。そのまっすぐな道には、下河原緑道という名前がついていますが、これも線路の跡。下河原緑道を南に進むと、郷土の森博物館のあたりで西へ大きくカーブし、多摩川に沿うようなかっこうになります。カーブを曲がり終えた下川原コーポのあたりがこちらの線の終点。この路線は、国鉄中央線の支線で、通称“下河原線”と言われていました。もともとは多摩川の砂利を運ぶために作られた鉄道だったそうです。競馬場方向へ枝分かれする線は、昭和8年(1933年)に東京競馬場が開場して間もなく、昭和9年(1934年)に新設されました。つまり、支線の支線、ということです。
再び、先ほどの分岐点に戻りましょう。そこからはほぼ一直線で北上します。南武線の上を通り、長福寺の西側を北へ。そのへんで右斜めに分かれていく道がありますが、線路跡をたどるには左の道を行きます。府中スカイハイツのすぐ東側から京王線の下をくぐり、ケーズデンキの東側でゆるやかに左にカーブ。南からトンネルを出たばかりの武蔵野線に合流すると、すぐに北府中の駅に着きます。ここからしばらく、下河原線の跡は武蔵野線に重なります。武蔵野線が下河原線の一部に沿う形で作られたからです。
一気に西国分寺駅の手前まで北上してみましょう。武蔵野線の東側、府中街道との間にに、奇妙に右カーブした建物があるのがわかりますか。たぶんこれは、下河原線の跡に建てられたものだと思います。そのままカーブを延長していくと、東西に伸びる中央線に見事に合流するはず。線路の跡を想像できるでしょう? あとは中央線に沿って一直線、国分寺駅にたどり着きます。
この“国鉄東京競馬場線”(そういう名称はありませんでしたが)は、武蔵野線の府中本町〜新松戸間開業に伴い、昭和48年(1973年)3月31日限りで廃止されました。
我が家には、交通公社の時刻表・復刻版(最近、創刊1000号が発売されて話題になったJTB時刻表の昔のバージョン)が何冊かあります(なにしろ鉄道ファンなものですから)。まず、昭和15年(1940年)10月号30ページ、東京・淺川(現高尾)間(中央本線)の項では、「國分寺・東京競馬場前間五粁(キロ)六分、運賃拾錢、東京競馬開催ノ都度運轉」となっています。この線の電車は、開業当初は競馬開催日だけの運転だったんです。
次に、昭和31年12月号。その52ページには、国分寺〜北府中〜東京競馬場前間を走る電車の初電・終電時刻が掲載され、「運転間隔約30分−60分」という案内も載っています。この頃には東京圏の国電路線網の一部に昇格していたわけです。
そして、昭和47年(1972年)3月号。廃止1年前には、国分寺からの下りが6時4分の初電から22時27分の終電まで、東京競馬場前発の上りが6時18分の初電から22時42分の終電まで、約30分毎に運転、という時刻表が載っていました。所要時間は10分。昭和15年の6分よりスピードダウンしているのは、途中の北府中に停車しているからでしょう。
戦後の2冊に「競馬開催日には臨時電車増発」というような記載はありませんが、たぶんそういう電車はあったと思います。いくらなんでも約30分毎じゃぁ、競馬場への往復には不便すぎますからね。ちなみに、京王競馬場線・府中競馬正門前駅の開業は昭和30年(1955年)4月。以後、約18年間、東京競馬場には、南武線の府中本町駅と合わせて3つの最寄り駅があったということです。
残念ながら、私は東京競馬場前駅を利用したことがありません。ただ、これが、当時の国鉄では一番長い駅名(カナで13文字)だったというのを覚えています。今回はかなりマニアックな話を長々と書いちゃいましたが、地図を見ながら、この駅が競馬ファンで賑わっていた頃を少しでも思い浮かべていただけたら幸いです。
さてさて、今週のオークスは、レッドディザイアからの応援馬券を買います。そのココロは、「矢野吉彦の競馬日記」でどうぞ。ではまた来週!
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