ヨーロッパでも有数の大馬主で、数々の名馬を生産・所有しているアガ・カーン殿下が、クリストフ・スミヨン騎手(28歳)と交わしている主戦騎乗契約を、今シーズン終了時点で打ち切ると発表した。02年から8年にわたって、フランスにおけるアガ・カーン殿下所有馬の主戦として騎乗してきたスミヨンと袂を分かつ理由について、アガ・カーン殿下サイドは“human relations became difficult (良好な人間関係の維持が困難になったため)”と説明している。
81年6月4日にベルギーで生まれたスミヨン。16歳の時にデビューし、99年には見習い騎手チャンピオンに。そしてその翌年の00年には、アンドレ・ファーブル厩舎のセカンド・ジョッキーの座を手にしているから、出世は極めて順調であった。
これまで3度、フランスにおけるリーディングの座を獲得しているスミヨン。アガ・カーン殿下の主戦としては、02、03年にダラカニに騎乗し、凱旋門賞を含めて4つのG1を獲得。更に昨年、牝馬ザルカヴァとのコンビで、デビューから凱旋門賞まで無敗のキャンペーンを完遂したのは、記憶に新しいところだ。
ところが、トントン拍子にスターダムを駆け上がり、若くして頂点を極めてしまったスミヨンには、マナーに反する言動が多いとの評判も、常につきまとっていた。楽な手応えで抜け出す時、追い越す相手に向かって舌を出してみたり、抜け出してから「おいで、おいで」とばかり手の平を振ってみせたり。
実は、8月22日にドーヴィルで行われたガラ・ディナーの席でも、スピーチに立って「ファーブルさんはどこにいるかな。あの人は小さ過ぎて、どこにいるかわからないね」と、公衆の面前で恩人を愚弄する発言をして、物議をかもしたばかりであった。
更にその騎乗スタイルについて、ムチを使いすぎるとの非難も各所で囁かれていた。件のファーブル調教師も「私の感性に、反する騎乗スタイル。あれでは馬が壊れてしまうと、私も何度も忠告したのだが……」と、その姿勢を批判していた。
アガ・カーン殿下及びその関係者と、スミヨンとの間で、果たして何があったのかは明らかになっていないが、成績を挙げていながら決別に至った裏には、競馬場の外で起こった出来事が関係しているはずと、現地のマスコミは分析している。
そのスミヨンに替わって来シーズン、フランスにおけるアガ・カーン殿下の主戦に指名されたのが、日本でもおなじみのクリストフ・ルメール(30歳)だ。障害の名騎手パトリス・ルメールの子息として、79年5月20日にシャンティイ近郊で生まれたルメール。騎手学校には通わず、学業を続けながらアマチュア騎手として乗り始め、今日の地位を手に入れたという、フランスにおける平地のトップジョッキーとしては異色の経歴を持つ男である。
プロとして騎乗を始めたのは99年で、翌02年暮れには初来日。以来、フランスがシーズンオフになると日本で騎乗するのが恒例となり、ハーツクライによる有馬記念制覇など、数々の印象的な騎乗を日本のファンの前で披露している。
地元フランスでも、ヴェスポンでジャンプラ賞を制してG1初制覇を果たした03年以降、リーディングトップ10の常連に。ディヴァインプロポーションズとのコンビで、05年の仏1000ギニー&仏オークスを含めてG1・5勝。06年にはプライドとのコンビで、香港Cを含めてG1・3勝。08年にはナタゴラとのコンビで、英国クラシックの1000ギニーに優勝と、着々と一流騎手としての実績を積み重ねてきた。
そして今年の春には、イルーシヴウェイヴで仏1000ギニー、ルアーヴルで仏ダービー、スタセリタで仏オークスを制するという、センセーショナルな活躍を見せたルメール。プロになって10年目に遂に、アガ・カーンの主戦という、騎手なら誰でも憧れるポストに就くことになった。
実はそのルメール。今季は、同じくフランスの大馬主であるニアルコス・ファミリーと優先騎乗契約を結んでおり、来季も契約が延長されることが、ごく最近決まったばかりである。
来季(2010年)ついては、ニアルコス所有馬を優先していただいて結構。ニアルコス所有馬とかち合わない場合は、アガ・カーン殿下所有馬に乗る、というのが当面の契約内容と伝えられているから、ルメールも随分とアガ・カーン殿下に見込まれたものだ。もっとも、2011年からは完全なる主戦として乗って欲しいというのが、アガ・カーン殿下の意向と伝えられている。
大馬主から引っ張りだこのルメール。今年の冬には、これまでと同様に来日してくれるかどうか、日本のファンとしてはいささか心配になる状況だ。