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この世に遺した唯一の産駒

  • 2010年07月13日(火) 23時00分
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 英国で、デビュー戦を勝ち上がったばかりの2歳牝馬が、話題となっている。

 7月9日(金曜日)、ニューバリー競馬場で行なわれた距離7Fのメイドンで初勝利を挙げたばかりのデイトウィズデスティニーがその馬。悲劇の名馬ジョージワシントンが、この世に遺した唯一の産駒が、彼女なのだ。

 エミレイツ・ワールドシリーズ・チャンピン、グランデラの半弟という良血馬ジョージワシントン(その父デインヒル)。のちに、“ゴージャス・ジョージ”とのニックネームを与えられたほど立派な馬体の持ち主であることもあり、英国タタソールズのプレミア1歳市場で、115万ギニーという高額でクールモアグループに購買されている。

 2歳時の戦績、5戦4勝。ナショナルS、フェニックスSという2つのG1を制して、カルティエ賞欧州2歳チャンピオンの座に輝き、早速に投資に見合う活躍を見せたゴージャス・ジョージ君。3歳時にも、英国2000ギニー、クイーンエリザベス2世Sと、2つのマイル基幹G1を獲得。3歳一杯で現役を退き、大きな期待を背負って、07年春からアイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りすることになった。

 ところが………。エリートの順風満帆な生涯が、ここで大きく軌道を外れることになった。種付けを開始したところ、ジョージワシントンを交配された牝馬の“止まり”が極めて悪いことが発覚。20頭以上付けた段階で、たった1頭しか受胎牝馬がいないことが判明した段階で、ジョージワシントンは種牡馬失格の烙印を押されることになったのである。

 関係者協議の末、現役に復帰することになったジョージワシントンだったが、復帰戦となったロイヤルアスコットのG1クイーンアンSが4着、続くサンダウンのG1エクリプスSも3着、ロンシャンのG1ムーランドロンシャン賞が3着と、前年の輝きを取り戻せず、勝ち切れないままシーズン終盤を迎えた。

 ジョージワシントンにとって、4歳シーズン最終戦となったのが、クールモア陣営が奪取に執念を燃やす北米のBCクラシックだったが、この年のBC開催地モンマスパークのホームストレッチが惨劇の舞台となった。不慣れなダートコースの競馬で、前の馬が蹴り上げる砂を気にして走りづらそうにしていたジョージワシントンの動きが大きく歪んで走行を停止。右前脚球節の開放骨折、両種子骨の骨折と言う重傷を負ったジョージワシントンンは、安楽死処分となってしまったのである。“ゴージャス・ジョージ”の、何とも悲しい最期であった。

 デイトウィズデスティニー(牝2)は、07年春にジョージワシントンが種牡馬として供用された際、彼の種を受胎したただ1頭の牝馬フロウレスリー(父レインボウクエスト)が、翌年産んだ子なのだ。

 姉に、フランスのG3ペネロープ賞勝ち馬オンブルリジェールがいるという、ジョージワシントンにとって唯一の子孫となった母フロウレスリーの牝馬は、ゴフスのノヴェンバー・フォールセールに上場され、ギルドーン・スタッドが28万ユーロで購買。更に翌年の10月、タタソールズのオクトバーセールに上場され、代理人のピーター・ドイル・ブラッドストックを通じて32万ギニーでジュリー・ウッズ氏の所有馬となった。

 デイトウィズデスティニーと命名され、リチャード・ハノン調教師の管理下におかれた牝馬のデビュー戦となったのが、7月9日にニューバリーで行なわれた14頭立てのメイドンで、ジョージワシントンの遺児は1番人気に応えて初勝利を挙げたのである。

 デビュー戦の内容を、ハノン師は「この馬は上のクラスでも通用する」と高評価。次走は、8月7日にニューマーケットで行なわるG3スイートソレラSか、8月28日にグッドウッドで行なわれるG3プレスティージSになるか、いずれにしても重賞に挑むことになりそうだ。

 たった1本の糸を頼りに紡がれたジョージワシントンの血脈が、後世まで残ることが出来るか。デイトウィズデスティニーの今後に注目したい。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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