こんなことを考えてみた。競馬を乱世に置き換えてみたらと。
乱世を生き抜く術については、これまで多くの偉人たちの言葉が残されてきた。その中でも、孫子の兵法は今でも口にする者は多い。この孫子の兵法を競馬に応用するとどういうことになるだろう。いや、意外にぴったりくるのだから驚きなのだ。ここに述べられている真実、これぞ競馬を乱世と捉えることで見事に生きてくる。何が起こるかわからない戦乱の世、これを、競馬に何が起こるかわからないに置き換えるのだ。
その兵法の鉄則の中に、「勝算なきは戦うなかれ」というのがある。競馬でこれを実践するのは難しい。はやる心をどう抑えるか、このジレンマとの戦い。そこで登場するのが三国志の中の諸葛孔明である。この知謀の軍師を手本とすれば、大いなるヒントを得ることができる。
孔明は、勝算の乏しい戦いをやらねばならないとき、苦悩の末にひとつの方針を打ち立てた。「勝てないなら、最悪でも負けない戦いをしたい」と。
そう、もっぱら負けない戦いを心がける、最悪の事態だけは避けたいと思うこと、競馬ではよくあるではないか。こんな消極的では面白くないではないかと思うことなかれ。一旦心を許してしまったら、ただずるずると流されていくだけ、そんな無念の思いをどれほど味わってきたことか。その結果、「最悪でも負けない」の心境に到達したのだ。
孫子は、リーダーたる者の条件として、洞察力とか先見力といったことをあげているが、この「智」ある者は必ず利と害の両面からの判断がなければならないと教えている。利益を得ようとするなら、損害の方も頭に入れておかねばならないということだが、これを競馬で鍛えておくべき意味がどれほど大きいかがわかる。競馬を乱世に置き換え、打たれ強く、さらに賢くなろうではないか。