食事に作法があるのは、何を意味しているのか。きちんとできている人もそうでない人も、普段、そんなに気にはしていない。でもそう言われれば、どういうことかと興味を覚える。ずっと小さい頃には、「食事のときは黙って食べなさい」と言われたものだが、今はそうではなく、「食事はみんなで楽しく取りましょう」と言うようになっている。確かに食事の場は、人間関係を深めるには絶好の場と言えるでしょう。みんなで話をしながら楽しいひとときにする、それはそれで意味のあること。そこで作法なのだが、食に対する態度、価値観に大いに関連してくる。
食は生きとし生けるものを口にするのだから、そこから古来より日本人は、すべてのいのちを尊ぶというこころを育んできた。自らのいのちを長らえるために、他の生き物のいのちを奪わなければならない。ならば、せめて、尊いいのちをいただくにふさわしい態度があるではないか。いただくいのちに敬意をはらう、それはしっかり料理されたものと向き合い、よく味わうということ。食することに集中して他に気を取られない、黙って食事をする作法は、こんなこころ構えから育まれてきた。
もちろん、競馬をやるにあたっても、当然作法があるはずだ。競馬がどうやって成り立っているのか。そこから生まれる競馬に対する価値観。それらをどれだけ認識しているかで、しっかりした競馬の作法が生まれてくる。
そこには、競馬の中にあるものへの敬意があり、尊く思うこころがなくてはならない。
もちろん、日本人古来の、生きとし生けるものへの思いが、その根底にはある。どれだけしっかりした作法を身につけているかで、競馬をやるにふさわしい態度が生まれてくるのだから、より深く知ることが求められていく。今ではあまり耳にしなくなった「作法」について、競馬をひとつのきっかけに考えるのも、意味のあることのように思える。