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不思議を超越した満足を得られるかどうか

  • 2010年08月12日(木) 00時00分
「勝ちに不思議な勝ちあれど、負けに不思議な負けなし」、これはプロ野球の野村克也氏の言葉だが、実に味わい深い。考えに考え抜いてある境地に到達した者だから言える箴言だ。耳にした者ならすぐにでも納得できるのだが、その不思議を追求するのは簡単ではない。

 勝因を考えるよりも敗因を探ることで進歩が得られるという教えなのだが、そうした習慣を身につけるには、とにかくメモをすることが第一と勧めている。

 野村克也氏のデータ野球はよく知られているが、かつて野村教室で学んだ野球人で、その後別の分野に移ってもそれを実践している若者がいるそうだ。野球人である前に社会人であれ、良き社会人になるために必要なこととはと、プロ野球の世界に入ってきた若者たちに指導を重ねてこられた。

 この考え方、あるべき姿勢、どの世界にも通用する。

 ところで、冒頭の言葉に「競馬の」をつけてみたらどうだろう。「競馬の勝ちに不思議な勝ちあれど」は、まさに幸運、ラッキーを指している。なんとか福を呼び込もうと気を揉むのが競馬。ひたすらその一念でのぞみ、勝利を引き寄せたときの喜び、どうしてと問われても明確な根拠もなく、ただそんな気がしただけということ、本当にたまにある。この方が楽でいいのだ。

 一方、「競馬の負けに不思議な負けなし」はどうだろう。全部が全部とは言わないが、検討不十分、うっかりしていた、気づかなかったということはよくある。むしろ、そればかりかもしれない。もっとも、人智を超えたところに競馬はあるのだから、いくら不思議を追求しても無理だろう。

 競馬はそれを承知でやるもので、言えるのは、その不思議を超越した満足を得られるかどうかだ。どれだけその馬が好きか、それに尽きる。その好きな馬は、時々で違っていく。

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ラジオたんぱアナウンサー時代は、日本ダービーの実況を16年間担当。また、プロ野球実況中継などスポーツアナとして従事。熱狂的な阪神タイガースファンとしても知られる。

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