その瞬間、人でぎっしりと埋まったドーヴィル競馬場のスタンドが、シーンと静まり返った。8月15日(日曜日)にドーヴィル競馬場で行なわれたG1ジャックルマロワ賞で、世界中の注目を集めていたと言っても過言ではない大本命馬ゴルディコヴァが、2着に敗れたのである。
フランスにおける真夏のマイル王決定戦であるこのレースの今年の見どころは、名牝ゴルディコヴァ(牝5、父アナバー)がどんな競馬をするか、その1点に絞られていた。2度にわたるBCマイルや昨年のこのレースを含め、前走のG1ロスチャイルド賞(旧称アスタルテ賞)まで、ゴルディコヴァが手中にしたG1の数、実に10。ヨーロッパにパターン競走のシステムが導入されて以降、G1・10勝というのは、同じフランスから生まれた80年代の名牝ミエスクと並ぶタイ記録で、すなわち、ジャックルマロワ賞には歴代最多記録更新がかかっていたのである。
ゴルディコヴァ陣営にとっての懸念は、相手馬よりもむしろ、馬場にあった。週初めの月曜日に大雨があって、そうでなくても馬場は渋り気味だったのに、レース前日の14日(土曜日)がふたたび終日の雨。決して道悪をこなせぬ馬ではないものの、瞬発力を武器とする牝馬だけに、この馬場状態では「ゴルディコヴァ回避の可能性あり」というのが、レース前夜の情報であった。
当日の午前中にも多少の降雨があったが、幸いにして昼前には上がり、日射しがこぼれる中で迎えたジャックルマロワ賞。馬場状態は英語表記で Very Soft、日本で言えば「重」であったが、予定通りにゴルディコヴァがパドックに姿を現すと、それだけで観衆からは拍手が沸き起こった。
パドック前列には、胸にそれぞれ「G」「O」「L」「D」「I」「K」「O」「V」「A」の文字が入った紺色のトレーナーを着こんだ一団が陣取り、競馬場に隣接する会場で同じ時期に行なわれていた「アルカナ・オーガスト・イヤリングセール」に参集していた各国の競馬関係者も、この時ばかりは馬の下見を中断して競馬場に馳せ参じるなど、場内はまさにゴルディコヴァ一色となった。
彼女の末脚が活きるように、ハイペースを演出すべく、陣営はペースメーカーを2頭も用意。昨年のこのレースでは、10分以上にわたってゲート入りを嫌がり、スタート時刻を大幅に遅らせたゴルディコヴァだったが、この日はスム-ズにゲートインし、「新記録ショー」の舞台は整った。
レースは、ペースメーカー2頭が引っ張り、ゴルディコヴァは3番手。2番人気に推された英国の古馬最強マイラー・パコボーイ(牡5、父デザートスタイル)は、いつものように馬群最後方。3番人気に推された今年の英国2000ギニー馬マクフィ(牡3、父ドバウィ)は、ゴルディコヴァをぴったりとマークするように中団に付けた。
ゴルディコヴァのオリビエ・ペリエ騎手が少し手綱を動かしてゴーサインを送ったのが、残り500m付近で、同時に、最後方にいたパコボーイが馬群の内埒側に進路を変えて追撃態勢へ。マクフィも同じタイミングで、ゴルディコヴァを右側から抜かしにかかった。
脚色が一番良いのがマクフィで、道中の手応えの割には伸びないゴルディコヴァは、あと200mの段階でまだ3番手。結局、後続に2馬身半という決定的な差をつけて、マクフィの優勝となった。
牝馬にしては驚くほど成績の安定しているゴルディコヴァだが、ここまでの19戦でただ一度、着外に敗れた昨年春のG1イスパーン賞も当日の馬場は Soft だったから、敗因はやはり道悪にあったようだ。それでも、一旦は抜かれたパコボーイを差し返して2着を確保したのは、さすがであった。本命馬の敗退に、馬券はやられたファンが多かったはずだが、優勝馬に先駆けて馬場から引き上げて来たゴルディコヴァに、スタンドから大きな拍手が送られた。次走は、9月5日にロンシャンで行なわれるマイルG1ムーランドロンシャン賞か、10月3日に同じくロンシャンで行なわれる1400mのG1ラフォレ賞になるとのことだが、馬場さえ悪くなければ、新記録達成のチャンスは充分あるはずだ。
そして、ゴルディコヴァの管理調教師フレディ・ヘッドがレース後に「今日は勝った馬が強かった」とコメントしたように、マクフィが非常に良い競馬をしたことも確かだった。これでデビューからの戦績を5戦4勝とした同馬。唯一の敗戦となったロイヤルアスコットのG1セントジェームスパレスSの時には、レース翌日の検査で喉に炎症がみつかり、体調が万全ではなかったことがわかっている。前述したようにこの日は道悪だったが、英国2000ギニーの時にはパンパンの良馬場もこなしており、条件を問わぬ強さをもった超一級のマイラーと言えそうだ。
こちらも次走は、9月5日のムーランドロンシャン賞か、9月25日にアスコットで行なわれるマイルG1クイーンエリザベス2世Sになる模様だ。
そしてその後は、アメリカのBCマイル参戦を視野に入れているマクフィ。史上初の同レース3連覇を目指すゴルディコヴァにとって、ここ3年で最大の敵を迎えることになりそうである。