志を持つ者の行為なり行動は、物事を私物化せず社会公共のために役立てようとする。
そうした偉人がいたことを知るにつけ、心の豊かさとは何かを考えさせられてきた。道理に従えば心も豊かになり、欲に従えば失敗すると言うではないか。この心の豊かさ、近頃少し物足りない。何故にこうなってしまったのか。やはり、この辺でしっかり考えておくべきだと思う。
わが競馬の世界を例に取ってみるのがわかりやすいかもしれない。
より速く、より大きく、より効率的に、どの分野でもこう唱えてきた。経済では拡大生産を押し通してきたが、いつまでもそうはいかなかった。競馬でも、サラブレッド生産が1万頭を超えた時があった。規模では、世界有数の生産国の地位を占めたが、今では、7千頭というところ。中央競馬は現状を維持できていても、地方競馬の衰退が影響している。これは、ひとつ競馬だけの問題でないことは、はっきりしている。どこにでも、経済状況に合致した適正規模があり、今は、その方向に向かって競馬も動いているのだろう。肝心なのは、だからと言って、視野を狭くしてまわりが見えなくなってはいけない。こういう事態になると、より効率をと考え、見るのは足下ばかりになっていく。それでは、何も見えなくなってしまう。まわりが見えないということは、心の豊かさが失われることだ。
一般的には、心の豊かさは多くの知識から培われていく。どれだけ多くのことを知っているか。現在だけでなく過去のことについても。競馬なら、心豊かなファンに囲まれてあるのが一番いいということになる。そのためには、競馬をどう伝えられるかが重要だ。心を豊かにする道理とはと、問いかけることをやっていきたい。より効率を重視する方向だけでは、何も見えてこないではないか。競馬の中にある志とはどういうことか。私事を離れて、関わる者みんなで考えていきたい。