生きていくのに不足を感じない、誰だってそうありたいと願う。では、どうあればいいのだろうか。第一に食べるもの、第二に着るもの、第三に住む所、つまり衣食住ということになるのだが、これさえ揃っていれば不自由はない。ただ、人にはみな病に冒されるという不自由が生じることがあるから、これに健康を加えなければならない。この四つが満たされていれば、他に何かを求めるのは贅沢というもの。そう心構えをしていれば、物事に悩む場面は少ないはずだ。この悩みが少ない状況であれば、競馬への取り組みはぐんと楽になり、楽しくなっていける。
この道理に従えば、心は豊かになっていけるし、そうでなく欲に従えば躓くと、昔から書物では教えている。
ついでながら、昔から、分を知れとも教えられてきた。自分の身のほどを知って、財や力が及ばないときにはやめる勇気を持てということでもあるが、この点、競馬の中では日々体験してきている。無理に無理を重ねていいことは決して無い。レースでも、2つ続けて駄目だったらひとつ休んでみるぐらいのゆとり、これが、再び上昇気流に乗せる秘訣と学んできた。どうやっていい気を呼び込むか、つまりはこれに尽きると思えるのだ。
分を知れ、この言葉には別の教えも見えてくる。レースが終わるといつも思うことだが、どんな結果になろうとも、答えはこれひとつなのだから、素直に受けとめるべきで、配当が高かろうと安かろうと、この結果以外は有り得ない。動かしがたい事実なのだと。
競馬には、当たり癖をつけろという励ましの言葉がある。どんなに低い配当であろうと当たりはひとつなのだから、それを受けとめるべきで、採算を気にせず次の的中を目指すべきと。分を知れとは、競馬ではこういうことだと理解したい。身の回りに不足を感じず、分を知って処する。心豊かな競馬ファンになるには、これが一番だ。