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義経神社初午祭

  • 2011年02月09日(水) 00時00分
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 2月8日(火)平取町の義経神社で恒例の「初午祭」が行われ、日高各地から約200人の関係者が集まり、愛馬の息災先勝を祈願した。

 義経神社は寛政11年(1798年)の開基。御神体は源義経で、探検家の近藤重蔵がこの地のアイヌ民族の間で源義経が崇拝されていることを知り、江戸の仏師に作らせた義経像を寄進したのが始まり、とされている。

(写真・義経神社社殿)

 初午祭は、概ね昭和48年頃より毎年2月の初午の日に行われるようになり、神社側の発表では今年で39年目となる、らしい。源義経が騎馬武者であり馬を大事にしていたことと、この地方が馬産地であること、初午の日に祈願をすれば願いが叶うと言われることから始められた、という。来年は40周年を迎える。

 午前11時。用意された神馬の馬上に御分霊の幣を祀り、神主を先頭に参列者が参進するところからスタートである。

(写真・参進)


(写真・参進)


(写真・参進)

 この日は晴れていたものの、時折小雪の舞う寒い日で、気温は-のまま。滑り止めの砂が撒かれた300メートルほどのコースを、足元を気にしながら参列者が次々に進み、社殿に戻ってきた。

 その後、社殿内にて幣が奉安された後、セレモニーが行われる。

 ほとんど正午近くになってから、いよいよメーンイベントである「矢刺しの神事」となった。直垂姿の行事者が馬上より、その年の歳破の方角に向け神矢(破魔矢)を三射して悪鬼を祓うのである。

 今年の凶方は酉の方角(西)らしく、行事者を務める川上満・平取町長が直垂姿で馬上に跨ると、一斉にカメラのシャッターが切られた。

 毎年、年男(数え歳)がこの重責を務めることになっており、因みに昨年はホッカイドウ競馬の調騎会長・若松平氏であった。

(写真・矢刺しの神事)

 この時、行事者によって三射された矢を拾った人には幸運が訪れると言われており、今年も三本の矢を巡っての“争奪戦”が展開された。

 幸運の矢を拾ったのは、賀川知己さん(19歳)、竹田功さん(15歳)、松橋久美子さん(52歳)の3人。

(写真・幸運の三人)

 賀川知己さんは日高優駿学園の3年生。竹田功さんも同じく同学園の1年生だ。賀川さんは現在、平取町内の二風谷ファームで実習中という。また竹田功さんは騎手志望である。

 1本目を拾った松橋久美子さんは「たまたますぐ近くまで矢が飛んできて、思わず手を伸ばしたら拾えました。10年間ここに通っていますけど、初めてです」と興奮気味に語っていた。松橋さんは日高町のベーシカルコーチングスクール勤務で、参拝は社長の代理だという。何を祈願しましたかと質問されると「生産馬とお預かりしている預託馬たちが競馬で良い成績を残せるようにとお祈りしました」とコメントした。

 矢刺しの神事が無事終了した後、社殿内で玉串法奠や拝礼などが行われ、祭儀はフィナーレとなる。

 直垂姿で社殿から出てきた川上満・平取町長は、取材陣の質問に対し、三本の矢を「皆さんの愛馬の無病息災と、我が平取町民が今年1年平穏無事で暮らせるように、とお祈りしながら射った」と答えた。

 義経神社は平取市街地を見下ろす小高い丘の上にあり、周囲を鎮守の森に囲まれた閑静な場所にある。社殿にほど近いところまで車道が整備されており、参拝に適する。日高では最も雰囲気のある神社ではなかろうか。

岩手の怪物トウケイニセイの生産者。 「週刊Gallop」「日経新聞」などで 連載コラムを執筆中。1955年生まれ。

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