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武豊騎手、初の被災地訪問

  • 2011年07月16日(土) 12時00分
「どんな格好で行きましょうか。市長は公務のとき、何を着ているかわかります?」

 南相馬市の桜井勝延市長と対談をする前日、電話の向こうの武豊騎手が言った。こちらがカジュアルすぎると失礼だし、逆にキッチリしすぎていると相手に気まずい思いをさせてしまう。私が司会・構成をする対談の前、武騎手は必ず相手の服装について訊いてくる。私は答えた。

「何日か前、ユーチューブにアップされた映像では防災服を着ていましたよ」

「じゃあ、ぼくはノータイのほうがいいですね。それでスーツにしますわ」

「暑いからジャケットはいらないでしょう」

「いや、ぼくの格好によって、ジョッキーはこういうものだと思われるでしょうから、スーツで行きます」

 そう話した彼は、2011年7月12日の午後、1階だけオープンしている仙台空港のロビーに現れた。私がボストンバッグを持とうと手を伸ばしても首をふり、売店で「がんばろう東北緑茶」を2本買って、1本を私に差し出した。

 あまり笑顔がなかったのは、津波に襲われた海岸を上空から見てきたからだろう。

 私が運転するクルマで水戸街道(国道6号線)を南下した。仙台空港から今回の目的地である福島県南相馬市役所まで、1時間半ほどの道のりだ。

 南相馬市は、地震、津波、原発事故、さらに風評被害と、何重もの苦しみのなかにある被災地である。また、千年以上の歴史を持つ、壮大な馬の祭り「相馬野馬追」の舞台でもある。

――大切な馬事文化である相馬野馬追のために力になりたい。

 何度もそう言っていた武騎手は、まず、今年の野馬追に飛び入りゲストのような形で参加する手だてを探った。が、今年から野馬追の開催日程が7月最後の土曜日から月曜日となり、レースと重なるため土、日は参加できない。日曜日は函館で騎乗する予定なので、翌月曜日の午前10時から南相馬で行われる神事にも間に合いそうにない。

 ならば、野馬追の開催前に桜井市長と対談してはどうか私が提案し、実現することになった。桜井市長は震災後、ユーチューブで南相馬市の惨状を世界中に発信し、米誌「タイム」で「世界で最も影響力のある100人」にウィリアム王子夫妻やオバマ大統領らとともに選ばれた人だ。そして、相馬野馬追執行委員長でもある。この「ビッグ対談」で相馬野馬追をPRし、さらに、武騎手が避難所を慰問し、被災地の人々を元気づけることが今回の南相馬訪問の目的だった。

桜井市長と武豊騎手

▲南相馬市役所の市長応接室で対談した「世界で最も影響力のある100人」の桜井勝延市長(左)と武豊騎手


 山元トレセンの前を通りすぎ、さらに水戸街道を下って南相馬市に入り、少し経つと武騎手が「あっ」と小さく声を上げた。海から2キロ以上離れたこの道沿いまで、何艘もの船が流されてきたまま放置されている。

 約束の1時間ほど前に南相馬市中心部まで来たので、元競走馬の被災馬とそれらを繋養している私の知人に会いに行った。

原町火力発電所

▲20mの津波に襲われた原町火力発電所手前の海水浴場の砂浜も防風林もキャンプ場も跡形もなくなってしまった


 それから、家や防風林を津波に流された海岸近くに出てみた。ところどころに残っている家屋も、1階部分は完全に破壊されている。3月11日に津波に襲われるまでは、ここで人々の営みがあったのかと思うと、彼も私も言葉が出てこなかった。私は5月上旬にも来ていたのだが、脱力させられるような衝撃を受けたのは、今回も同じだった。

 武騎手が、この惨状をしっかりと目に焼き付けているのがわかった。目をそらさず直視してこそ、先に進むことができる。

海岸線から2kmほど離れた住宅地

▲海岸線から2kmほど離れた住宅地も津波に呑み込まれた。瓦礫を運ぶダンプが目立つ


 南相馬市役所に行き、市長応接室の前で待っていると、ふたりの高校生と桜井勝延市長が部屋から出てきた。

「彼らと握手してあげてください」

 市長の言葉に武騎手が手を差し出すと、高校生たちは半分恥ずかしそうに、半分思いっきり嬉しそうに握り返し、微笑んだ。

 被災地はどこもそうなのだろうが、市の職員の多くも被災しており、最近になってようやく津波で亡くした親族の葬式を出せたという職員もいれば、いまだに市役所に寝泊まりしている職員もいる。

 桜井市長も自宅が津波の被害に遭い、震災後50日間は市長室で寝起きし、今も知人宅に身を寄せているという。

「それでも、自分たちが悲惨な立場に置かれたとは思っていません。積極的に復興を目指し、世界に情報を発信しながら新たな街づくりをしていかなければならない。少しでも消極的になれば、忘れ去られる街になってしまいますからね。受けた被害は自ら克服していく、という気概がないと勝てないですよ」

 淡々と語る口調からも表情からも、被害者意識どころか被災者意識すら感じられない。そういう姿を見せてきてたからこそ世界中の人々の共感を呼んだのだろう。

被害について説明を受ける武騎手

▲桜井市長と秘書課の星高光氏(右)から津波や地震の被害について説明を受ける武騎手


「きょうは相馬野馬追や南相馬市の人たちを応援するために来たのですが、市長をはじめとするみなさんのポジティブな姿勢に、ぼくのほうが勇気づけられました」

 そう話した武騎手は、桜井市長と固い握手をして再会を誓い、市役所からほど近い避難所の小学校を訪ねた。

(後編につづく)

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作家。1964年札幌生まれ。Number、優駿、うまレターほかに寄稿。著書に『誰も書かなかった武豊 決断』『消えた天才騎手 最年少ダービージョッキー・前田長吉の奇跡』(2011年度JRA賞馬事文化賞受賞作)など多数。netkeiba初出の小説『絆〜走れ奇跡の子馬〜』が2017年にドラマ化された。最新刊は競馬ミステリーシリーズ第6弾『ブリーダーズ・ロマン』。プロフィールイラストはよしだみほ画伯。バナーのポートレート撮影は桂伸也カメラマン。

関連サイト:島田明宏Web事務所

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