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モハメド殿下の豪州所有馬が欧州へ

  • 2011年12月07日(水) 12時00分
 シェイク・モハメドがオーストラリアに所有するスターホース2頭が、ゴドルフィン所属馬として来年3月のドバイカーニヴァルに出走した後、ヨーロッパで競馬をすることになった。

 オーストラリアで現在、殿下のえんじ色の勝負服を背に走っている馬たちの中でも、飛び切りの能力の持ち主と言われているのが、シーポイ(牡3、父イルシーヴクオリティ)だ。

 ここまでの戦績11戦10勝。デビュー戦に選んだのが、昨年10月3日にフレミントンで行われた準重賞のマリバーノング・トライアルS(芝1000m)で、ここを1馬身で制して緒戦を飾ると、コーフィールドの準重賞ブルーダイヤモンド・プレヴュー(芝1000m)、G3ブルーダイヤモンド・プレリュード(芝1100m)、G1ブルーダイヤモンドS(芝1200m)と制して、4連勝でG1制覇を達成。続くローズヒルのG2モスカト・トッドマンS(芝1200m)でスマートミシルの2着に敗れて連勝が止まったものの、次走、オーストラリアにおける2歳チャンピオン決定戦的位置付けにあるローズヒルのG1ゴールデンスリッパーS(芝1200m)を制して、2歳シーズンを終えた。

 3歳シーズンに入ってシーポイの快進撃は更に加速。3歳馬相手に準重賞とG2を連勝した後、9月30日にムーニーヴァレイで行われたG1マニカトS(芝1200m)で初めて古馬と激突。4.5キロの斤量差があったものの、G3・2勝の実績がある5歳牝馬シスターマドリーに2.1/4馬身の差を付けて3度目のG1制覇を達成した。日本で言えば、春3月の段階で3歳馬が古馬を撃破したのである。これでシーポイの評価は更に上昇することになった。

 続く古馬混合のG2コーフィールド・スプリント(芝1100m)では、昨シーズンのG1クールモアスタッドS(芝1200m)2着馬カータナ(牝4)よりも2.5キロ重い斤量を背負いながら、同馬に1.1/4馬身差を付ける完勝。そして10月29日にフレミントンで行われた3歳限定G1クースモアスタッドS(芝1200m)も、単勝1.3倍の圧倒的人気に応えて快勝。今季は5戦負け知らずの成績でここまで来ているのである。

 この後は、国内で1〜2戦した後に出国し、ドバイではワールドCデーのG1ゴールデンシャヒーン(AW1200m)をターゲットにする予定。その後はヨーロッパにわたり、ロイヤルアスコットの短距離戦(G1キングズスタンドSかG1ゴールデンジュビリーS)を目指す青写真が描かれている。

 その成績を御覧になれば一目瞭然だが、シーポイはスプリンターだ。すなわち、誰もが期待するのが、オーストラリアの誇る世界最強スプリンター・ブラックキャヴィア(牝5、父ベルエスプリ)との直接対決である。残念ながらオーストラリアにおける決戦は実現しそうにない。だが、ブラックキャヴィアも2012年の目標としてロイヤルアスコットへの遠征を計画しており、オーストラリアのトップスプリンター2頭による対決は、6月にイギリスで見られる可能性が高くなっている。

 オーストラリアからイギリスへの転籍が予定されているもう1頭が、ヘルメット(牡3、父エクシードアンドエクセル)だ。

 2歳時5戦して、G1シャンパンS(芝1600m)、G1サイヤープロデュースS(芝1400m)を含めて4勝。3歳を迎えた今季は、3戦目となったG3コーフィールドギニーズ・プレリュード(芝1400m)で初勝利を挙げた後、10月8日にコーフィールドで行われたG1コーフィールドギニーズ(芝1600m)を制してクラシック制覇を達成している。

 次走、豪州の中距離王者決定戦G1コックスプレート(2040m)は、古馬との初対決に加えて距離の延長が応えたか着外に敗れたが、豪州3歳世代屈指の強豪であることを既に実証している1頭だ。ドバイでは、G2UAEダービー(AW1900m)に照準を合わせている。

 シーポイもヘルメットも、ドバイのレースまでは現在両馬を管理するピーター・スノウデン調教師が仕上げの指揮をとり、ドバイでのレースを終えた後、マームード・アル・ザルーニ、もしくは、サイード・ビン・スルールの管理下に入る予定となっている。

▼ 合田直弘氏の最新情報は、合田直弘Official Blog『International Racegoers' Club』でも展開中です。是非、ご覧ください。

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1959年(昭和34年)東京に生まれ。父親が競馬ファンで、週末の午後は必ず茶の間のテレビが競馬中継を映す家庭で育つ。1982年(昭和57年)大学を卒業しテレビ東京に入社。営業局勤務を経てスポーツ局に異動し競馬中継の製作に携わり、1988年(昭和63年)テレビ東京を退社。その後イギリスにて海外競馬に学ぶ日々を過ごし、同年、日本国外の競馬関連業務を行う有限会社「リージェント」を設立。同時期にテレビ・新聞などで解説を始め現在に至る。

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