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柴田大知騎手インタビュー Part4

  • 2011年12月26日(月) 12時00分
柴田大知騎手のインタビュー最終回。どん底からはい上がり、2011年に再ブレイクを果たした柴田騎手。男性ファンからの支持も熱いのは、その生き方にひかれるからではないでしょうか。そんな柴田騎手の、ホースマンとしての生き様に迫ります。(12/19公開Part3の続き)


『2回ダメでも3回目には』

赤見 :今年は中山グランドJを勝ち、NHKマイルCで9年ぶりに平地のGIに騎乗して、平地・障害の両方で活躍している数少ないジョッキーじゃないですか。これはすごいですよね。他のジョッキーとは、また輝きが違いますよ。

柴田 :障害は、辞めたくないですね。障害を乗り出してから今の自分があるわけですし。それと、障害に乗ってから平地のレースに乗ると、結構周りが見えるんです。毎週1頭乗っているだけでも違うなって。痛い思いもしましたけど、障害に乗って良かったなっていうのは大きいです。

赤見 :これだけ充実していて、今すごく楽しいんじゃないですか? 新人の頃と比べて今っていうのは?

柴田 :それは、今の方が全然良いです。「こうしたらいい」「ああしたらいい」って自分で考えられるし、レースが終わってからは、乗った経験で「次はこうした方がいいんじゃないですか」という話も出来ていますし。

赤見 :そういうことも。それって、難しい面もありますよね。中には、あんまり言われたくないっていう関係者も。

柴田 :そうですよね。面白くないんだろうなって思うことはありますけど、今は自分の思ったことを言っちゃいます。あんまりもう、次のことは考えない。今まで結果を出しても乗り替わりって、結構当たり前で来ているから、それだったら思ったことは言おうって。

赤見 :それは、馬のためにもなりますもんね。トレセンで結構厩舎回りをしていますよね?

柴田 :僕はあれ、大事だと思うんですよね。今はジョッキーでも厩舎を回る人って少ないかもしれないけど、大事だと思います。競馬で人気で勝てなくて、次の週にっていうのは本当に行き辛いですけどね(苦笑)。そういう時はあまり多くを語らず、「すいませんでした」「またお願いします」ってパッと出てきます。

赤見 :あはは(笑)。でも、その行くか行かないかが大きいですよね。何年か前には所属だった栗田(博憲)厩舎にも行ったって。その時は特に…。

柴田 :すごく緊張しましたよね。何度か行って、調教に乗せてもらえるようになって、それから競馬でも乗せてもらって。最近、ようやくあんまり緊張せずに話ができるようになったんですけど、僕の中ではやっぱりすごく怖いっていうイメージで。16、17歳で厩舎に入って、箸の持ち方から何から、すっごく細かくいろんなことを教わりました。

赤見 :ええっ!? お父さんみたいですね。

柴田 :そうですよね。あの頃は、何か言われるんじゃないかなってびくびくしていましたけど、今思えば、先生が言いたくなるのはすごく分かります。だから後輩には言いたくなるんですよね。「それは違うぞ」って。

赤見 :いろいろな経験をしてきて、激動の騎手人生ですよね。今年を見たら、年間で勝てない時があったなんて、思えないくらいじゃないですか。この活躍の一番のきっかけって何だと思いますか? 今、谷にはまっている人っていっぱいいると思うんですけど。

柴田 :そうですね、そこで諦めないで欲しいですよね。この間ゴルフに行ってきたんですけど、ゴルフと一緒だと思うんですよ。上手くいかないことの方が多い。でも、そこで「いいや」って諦めると、上手くならないんですよね。「どうしたらいいんだろう」って考えながらやっていくと、「あれ、上手くいった」っていうふうになるのかなって思います。

赤見 :なるほど。

柴田 :若い頃は結構投げやりっていうか、ちょっとやって上手くいかなかったら、諦めていたことが多かったんです。だけど今は、それじゃいけないんだなって。そこで「次どうしよう」って考えられるかどうかだと思います。1回ダメで、2回目もダメで、3回目くらいには上手くいくかなっていう。

赤見 :2回やってダメだと、たいがいそこで諦めちゃう。

柴田 :そうなんですよね。でも、もう1回やったら上手くいくんじゃないかって、そういうところだと思います。なんだろう、周りからは「これ以上ジョッキーをやっていても、いつまでやれるか分からないだろう。だったら助手や調教師になれ」って、すごく言われたんです。でも、自分は「ジョッキーがやりたい」って思ったので、「いや違う、それは違う」と思って。自分の気持ちがどうかだと思います。

赤見 :何でそんなに前向きになれるんですか?

柴田 :ええと、一番大きいのは所属していた厩舎ですよね。先生もそうですし、助手さんにも厳しい人がいたんです。相当厳しく言われたんですよね。厩舎の前で、ずーっと怒られて。それこそ厩務員さんたちはみんな帰っちゃって、誰もいなくなるくらいまで。

赤見 :何時間も。

柴田 :はい。そこで、泣きながら聞いていたんです。自分の性格とかダメなところとか、本当に言われるってすごくショックじゃないですか。

赤見 :へこみますよね。しかも、自分でも分かっているところだと。

柴田 :きついですよね。でも、その人は本当に妥協しない人で、自分にも厳しかったので。馬乗りでもそうですけど、僕に見せるんです。僕が乗れない馬をビシッと乗ってくるし。

赤見 :それは説得力がありますよね。

柴田 :そうなんです。自分が甘かったっていうのを、その時にすごく感じて。栗田厩舎の所属になって良かったと思いますね。

赤見 :辛い時代もあったけど、それを全部糧にしたんですね。だって、今年の重賞勝利が14年ぶりですよ。14年って長いですよ。生まれた子が中2ですもん!

柴田 :あっはははは(笑)。長いですね。

赤見 :だからこそ、男子からファンレターが来るんですね(笑)。男子のファンが多いのも納得です。その生き方にひかれるんだと思います。


◆柴田大知騎手と一問一答
Q.移動時間は何をしてますか?

柴田 :中山、東京は自分の車で行くので、車の中で歌を歌っています。

赤見 :えっ、そういうキャラですか(笑)!?

柴田 :あははは(笑)。すごく恥ずかしいですね、今ね(照笑)。

赤見 :ばっちり聞きました! 何を歌っているんですか?

柴田 :えっ、いろんな曲ですね。iPodをかけながらとか、ラジオから流れてくる曲を全開で歌っています(笑)。

赤見 :ノリノリですね(笑)。例えば? AKB48とか?

柴田 :AKB48は歌わないですけど(笑)、わりと何でも歌いますよ。EXILE、いいですよね。結構古い曲も多いですよ。GLAYとかね。競馬学校の時に聞いて、「あ、懐かしいな」とか思いながら。

Q.最近始めたことはありますか?

柴田 :最近ヨガを始めました。ホットヨガ。ジョッキーだと僕と北村宏司、津村(明秀)、丸田(恭介)、平野(優)とかで教えてもらっているんですけど、結構しんどいんですよ。1時間半、2時間くらいかな。すっごい汗かくので。は〜、大変ですよ、本当に(笑)。

赤見 :あははは(笑)。

柴田 :でも、あれはオススメです。すごくいいですよ。余計なことを考えないでやるのがいいんですよ。そういう雑念を全部取り除いて。それが良いですね。それに次の日、びっくりするくらい体が軽くなります。オススメです。


◆柴田大知(しばただいち)
1977年6月18日生まれ、栃木県出身。元JRA騎手で現在調教助手の柴田未崎は双子の弟。同期は福永祐一や和田竜二ら。「競馬学校花の12期生」として、96年に美浦・栗田博憲厩舎からデビュー。97年、ラジオたんぱ賞をエアガッツで制して重賞初勝利。11年、マジェスティバイオの東京ジャンプSで14年ぶりの重賞勝利を果たすと、翌7月にマイネルネオスで中山グランドJを勝ち、GI初制覇も果たした。通算成績は149勝、うち重賞4勝(12月26日現在)。


◆次回、1月のゲストは美浦の北村宏司騎手。99年に藤沢和雄厩舎から騎手デビューし、JRA賞最多勝利新人騎手を獲得。06年にはダンスインザムードでヴィクトリアMを制し、GI初勝利を挙げました。そんな北村騎手は、11年1月にフリーへと転向。10年以上にわたり所属してきた藤沢和雄厩舎について、門出の年となった2011年の振り返り、そして2012年の抱負を語っていただきます。

東奈緒美 1983年1月2日生まれ、三重県出身。タレントとして関西圏を中心にテレビやCMで活躍中。グリーンチャンネル「トレセンリポート」のレギュラーリポーターを務めたことで、競馬に興味を抱き、また多くの競馬関係者との交流を深めている。

赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載した「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍。

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