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ほな、さいなら(^^)!

  • 2011年12月28日(水) 18時00分
「内田さんって、ボクシングの内藤大助に似てますね!」ここ数年、よく言われます。

「あっ、ちょっと武豊に似てるかも!」宇都宮で乗ってた頃は、よく言われてました。だけど僕は言うんです。「よく言われるんですが、僕のほうが年上なので、本当は彼らが僕に似てるんですよ」って(笑)。

 武さんは自分でも「似てるな」と思っていました。だから、たしか96年に大井で開催された全日本リーディングジョッキー競走で一緒になったときに、2ショット写真を撮ったんです。僕が35歳、7歳年下の武さんが28歳くらいのときですね。

 現像した写真を見て、ショックを受けました。僕の顔が、武さんの顔より2倍くらい大きかった…。自分では小顔だと思ってたのに〜。似てる似てない以前の問題でした(笑)。
15年後の僕たち

 それから15年後の僕たちです。勝負服は同じピンクだけど、まったく似てないですね(笑)。でも、ゴールデンジョッキーカップの日は、韓国ドラマやKポップの話で盛り上がりましたよ。武さんは「製パン王 キム・タック」というドラマを楽しみにしていて、録画予約してから園田に来たそうです。ホンマに好きなんやね〜。

 と、僕が関西弁を使うと、なぜかみんなに怒られます。先日、大阪・京橋の「彦治」というお店で飲み会をしたときも得意の関西弁を連発したのですが、その度に「ぜんぜん関西弁ちゃうし!」と集中砲火。兵庫の実況を務める竹之上次男アナウンサーには、50回ほどつっこまれました(笑)。

 わての関西弁、そないにあきまへんか? じゃあ、「Mr.PINKのイラッとくる講座」、どないでっか? ええ仕事しまっせ?

「エセ関西弁を使うときのドヤ顔」が、みなさんをより一層イラッとさせるんだそうです(笑)。

内田騎手

 宇都宮競馬が2005年3月14日をもって廃止されたとき、僕にやり残したことはありませんでした。ブライアンズロマンやベラミロードで交流重賞を勝ち、JRAの重賞を勝つこともできた。そして北関東で唯一の3000勝ジョッキーとなり、“燦然”と輝く栄光を手に入れたわけです(笑)。騎手としての目標をクリアした僕に残ったのは、「もう何年乗れるかわからないから、引退する前に、日本全国の競馬場で乗ってみたいな」という願望だけ。そこでNARグランプリの表彰式の記者会見で、「フリー騎手になって、全国の競馬場を乗り歩きたい」と宣言しました。

 廃止後は主夫のような生活をしながら、各地の主催者に短期騎乗を申し込みました。ただ、なかなか色よい返事をいただけず、「タウンワーク」をめくる日々を送っていました。洗濯物の畳み方が上手くなりましたよ(笑)。

 廃止から3か月後、水沢競馬場で再デビューを果たしたときは、本当に嬉しかった。「ああ〜、競馬に乗れるんだな」と、レースに乗れる喜びを噛みしめました。ただ、嬉しさは3割で、不安が7割。だって岩手で乗れるのは2か月で、次に行くあてのある競馬場はなかったんですから。

「岩手で最後なのかな、もうすぐ引退なのかな」と思いながら、楽しくも不安な生活を送っていた僕は、ある朝なにげなくスポーツ新聞を開きました。すると視界に、「笠松の川原正一騎手、兵庫へ移籍」という文字が飛び込んできたんです。

 川原さんの移籍は、笠松からリーディングジョッキーがいなくなることを意味しています。「笠松に売り込んでみようかな?」

 そう思った矢先に、水沢に笠松競馬の職員さんが現れました。ミツアキサイレンスと川原さんが福島に遠征した日の翌日、岩手まで足を伸ばして、僕に会いに来てくれたんです。
「次に乗りに行かれる競馬場は、あるんですか?」
「ぜんっぜん決まってません!」
「もしよかったら、うちのほうに来てもらえませんか?」

 そして笠松で騎乗していたときに、「来年の1月1日から、南関東で騎乗できます!」という朗報が届きました。また門扉が開いたんです。

 こうして各地の競馬場が受け入れ体制を整えてくれたおかげで、まだ騎手を続けていられます。僕が全国を乗り歩けるようになったのは、たくさんの競馬関係者の方々が後押ししてくださるおかげです。ファンのみなさんが、行く先々であたたかい声援を送ってくださるおかげです。

「内田さんの人柄によるところが大きいと思いますよ!」
「僕みたいにいい人は、なかなかいませんからね」
「……」

内田騎手

 顔に似合わずロマンチストだった父親は、中学生の僕に言いました。「馬の上で、青春時代を過ごしてみないか?」

 そのセリフにコロッとやられて騎手になることを決めた僕は、50歳になっても青春を続けていることになります(笑)。若い頃のようにシャープに乗れず、衰えを感じることが増えました。だけど勝ったときの喜びはやっぱり格別で、忘れられない。勝ったときの喜びをまた味わいたいと思うから、老体に鞭打って騎手を続けているんですよね。体はSサイズだけど、心はMなんで(笑)。

 携帯サイト「競馬総合チャンネル」では、2005年の5月からスタートした「ちょっとピンクな話」。今回のコラムで、最終回を迎えることになりました。行く先々で「読んでるよ〜」と声をかけていただく度に、本当に嬉しく思いましたし、大きな励みになりました。長い間ご愛読いただき、本当にありがとうございました!

 また、どこかの競馬場でお会いしましょう。パドックでは百万ドルの流し目をご用意して、お待ちしています(^_-)〜☆

 それではみなさん、『よい男利雄(よいおとしを)』(^_^)/~

P.S.しばらくの間、ピンクなブログ(http://ameblo.jp/mrpink/)をお楽しみください。 なるべく更新します(~_~;)

【お知らせ】
内田利雄『ちょっとピンクな話』は12/28更新分を持って掲載終了とさせていただきます。長い間ご愛顧ありがとうございました。

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Mr.PINKの愛称で親しまれる3000勝の名手。サラブレッド最多勝記録(43勝)をマークしたブライアンズロマンや、快速牝馬・ベラミロードとのコンビで知られる。栃木県の宇都宮競馬に所属していたが、2005年3月の廃止に伴い、さすらいのジョッキーに。現在、地方競馬史上初のフリー騎手を目指して全国を転戦中。

※当コラムは隔週更新となります。

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